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特別企画展「孫文・梅屋庄吉と長崎」に寄せて

辛亥革命の映像と長崎 その1

●辛亥革命の映像を長崎満知多座で上映 1911(明治44)年11月26日のある出来事
 

明治44(1911)年11月28日付けの「東洋日の出新聞」に「支那人と満知多座 留学生の革命演説」と題して興味深い記事が載っていました。今、その記事に基づいて2日前の11月26日の夜、長崎で起こったある出来事を見てみましょう。


<東洋日の出新聞 明治44(1911)年11月28日の記事>

場所は本石灰町にあった劇場満知多座。清国革命動乱の活動写真が上映されるという前宣伝もあって、すでに前日の25日に在留中国人が100人ばかりも押し寄せていました。上映は翌日の26日からだと知って彼等は落胆して帰りましたが、26日当日は中国人200余名、日本人も含めて1000余名という大入りの状況となりました。舞台の下手には青天白日満地紅の革命旗が掲げてあります。

西洋の喜劇、史劇、悲劇、日本の芝居などが終わって、プログラムの最後。これからいよいよ革命動乱の活動写真というところになり、弁士から紹介されて、舞台正面に現れたのは、詰め襟の洋服に斬髪の一書生。開口一番、彼はこう言いました。
「僕は清国人いや中華民国の者だ。今から革命動乱の活動写真があるそうでありますが、清国の革命とは何か、革命とは、革命とは・・・ああ革命党というのは・・・・僕は革命党員であります・・・・」
と言って、弁髪を切り落としているその頭を右手で撫でました。すると満場の大拍手が巻き起こりました。

この青年は続けて
「僕は貴国(日本)を慕うものであります。この国の義侠を慕う故に、長年留学して今は東京のある学校に学んでいますが、明日の船で帰国するのであります。・・・・ああ時間がもったいない、日本語が充分でないので多くの人に迷惑を掛けるのを恐れます・・・・」
というが彼の日本語は達者なもの。ただ、あまりに熱誠あふれるために演説はスラスラとは行かない。
「たくさん言いたいことがありますが、時間がもったいないので僕は自分の国の言葉で話します。」

 つま先だって眉を上げ、盛んにゼスチャーも交えて滔々と中国語で話すと、日本人は呆気に取られ、中国人は「バンザーイ」と絶叫して大拍手。
 
この間、十分ばかりの出来事で、この青年は自分の席に戻っていきました。彼は中国からやってきた第一高等学校の留学生でした。
革命動乱の活動写真の上映が始まり、革命軍の兵士が画面に映ると満場の大拍手喝采。観客席の中には、革命軍と敵対していた清国側の武昌師団長であった人物の家族たちの姿も見えました。上海から長崎に亡命してきていたのです。彼等もまた同じく盛んに拍手を続けていたことには大変驚かされました。




この夜、劇場満知多座で起こった出来事の様子が手に取るようにわかる臨場感のある記事です。
 
 
 満知多座は明治42(1909)年に、町田元吉によって創立された劇場で、場所は本石灰町34番地でした。後に南座と改称しています。明治44(1911)年の段階で、満知多座の観客定員がどれくらいであったかは不明ですが、大正14(1925)年に長崎市内の劇場を調査した資料(「長崎市劇場及活動写真沿革調査書」長崎歴史文化博物館蔵)によると1400人余り入ることができたということです。この日の夜、清国動乱(辛亥革命)の活動写真上映初日に1000人の観客が入ったという記事もあながち誇張ではないでしょう。このときの上映は11月26日から30日までの5日間限りで、連日大入りだったようです。 (続く)


【長崎県文化振興課 山口保彦】


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