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宮本常一と長崎

(5)離島・樺島をゆく

                 
 宮本は港に関連して、遊女屋にも触れています。
帆船はよい船がかりがあると風待ちや潮まちをする。樺島もその一つで、そうした港にはまた申しあわせたように遊女屋ができた。
延宝6(1678)年に藤本箕山が記した『色道大鏡』には、「日本遊廓」として25ヶ所の遊廓が列挙されていますが、第24番に「肥前国樺嶋 近年断絶」とあり、樺島には江戸前期に全国的に有名な遊郭のあったことがわかります。明治以降については、『野母崎町郷土史』によると、明治15(1882)年の「貸座敷娼妓取締規則」で樺島は貸座敷(遊女屋)免許地となり、地元では「客さん宿」と呼ばれていたとのことで、昭和前期まで続いていたようです。

 次に、宮本はオオウナギが生息する井戸にも注目しています。
港のおくの谷あいに大きい井戸がある。この井戸に大ウナギがいて天然記念物になっていた。その井戸を見に行くと、ウナギは死んで、大きな瓶にアルコール漬にしたのがおいてあった。女たちが来て水をくんでいく。上手に腰をひねって水をになっていく
この井戸は、正式には、「国指定天然記念物 オオウナギ生息地」といい、直径1.6m、深さ5mで、過去には、体長1.8m、体重17kg、胴回り0.5mまで成長したオオウナギも生息していました。指定当時(1923年)、この生息地が世界におけるオオウナギ分布の北限ともいわれ、学術上貴重なものとして国の天然記念物に指定されました。こうしたオオウナギに注目するだけでなく、その井戸で周囲の人々が日々の生活に必要な水を汲んでいる姿を民俗的に描写するところが宮本らしいといえます。
 
 最後に、離島振興的観点から架橋についても言及しています。
「橋でもかかるといいのですが……」と島の人がこぼすから、「その気になりなさい。わずか三〇〇メートルの海に橋のかからぬこともありますまい。ただその橋を観光目あてにかけたのでは意味がない。でき上った橋がほんとに役にたつ産業をもつことでしょう。お互いに考えてみようではありませんか」とはなしたのであった。
離島に精通した宮本の、優しくもあり厳しくもあるアドバイスです。彼の訪問から25年後の1986年に島民の悲願であった樺島大橋が完成し、長崎半島と結ばれました。これにより、1988年に離島指定が解除されましたが、樺島大橋は離島振興法に代り樺島の振興に大きな役割を果たしています。


                 (現在の樺島大橋)

 以上のように、宮本は樺島を精力的に歩き、見、聞き、それをもとに民俗学的・離島振興的観点から示唆に富む多くの指摘をしており、今日でも学ぶところが大きいといえます。

 
参考文献
・宮本常一 「野母の樺島」(『宮本常一著作集5 日本の離島2』)
・宮本常一 『野田泉光院』
・野母崎町企画課編 『野母崎町郷土誌』
・新版色道大鏡刊行会編 『新版 色道大鏡』
・長崎歴史文化博物館蔵 『海境島瀬論所内済絵図』


                           【長崎県文化振興課 松本勇介】


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