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宮本常一と長崎

(7)寄合民主主義

 1950年に八学会連合の対馬調査に民族学班として参加した宮本は、その記録を「対馬にて」と題して、1959年に『民話』5号に発表し、翌年『忘れられた日本人』に収めて刊行しました。本稿では、宮本が1950年7月下旬に西海岸北部の仁田村伊奈(現対馬市)で体験した寄合について取り上げます。まず簡単にあらすじを紹介します。民俗調査に訪れた宮本は区長の父から区有文書の存在を知らされました。翌朝区長の家を訪問し、寄合を中座して戻ってきた区長に借用を願い出ると、寄合にかけなければならいと言い残し、出て行きました。ところが午後3時を過ぎても区長が戻って来なかったので、しびれを切らした宮本は寄合の場(荒神社(現老人憩の家))に出向いて行きました。寄合では板間に20人ほど、その外にも多くの人が詰め、区有文書の貸し出しや他の様々な議題について、朝からずっと協議していました。そして訪れてから1時間ほど経って、区長が一同から同意を取り付け、ようやく借用することができました。この寄合について、宮本は次のように述べています。

 村でとりきめをおこなう場合には、みんなの納得のいくまで何日でも話しあう。はじめには一同があつまって区長からの話をきくと、それぞれの地域組でいろいろに話しあって区長のところへその結論をもっていく。もし折り合いがつかねばまた自分のグループへもどって話しあう。(中略)気の長い話だが、とにかく無理はしなかった。みんなが納得のいくまで話しあった。だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった。    (『宮本常一著作集10』)

以上の指摘以外にも、寄合では理屈よりも経験に根差した発言が重んじられていたこと、近世の寄合では郷士も百姓も村落共同体の一員として互角の発言権を持っていたと考えられることなどを指摘しています。この寄合を宮本は高く評価し、古文書や古老の話をもとに、近代以前から合議に基づく自治制度が成立していたのではないかと述べています。

 宮本が書き留めた伊奈の寄合について、専門家からは様々な意見が出されています。まず肯定的な意見として、佐野氏は、伊奈の寄合を伝統に基づいた恐ろしいほど粘りっこい日本的民主主義と評価しています。そして日本的共同体の伝統を封建遺制として退け、アメリカ直輸入の民主主義を謳歌していた当時の風潮に対する批判が読み取れると指摘しています。次に否定的な意見として、杉本氏は、現地資料などの詳細な検討から、宮本は伊奈の寄合を高く評価しすぎていると総評し、例えば対等性について、海に依拠する集落では共同採取物を合議制で分配する慣習があるものの、寄合には伊奈の階層的な村落社会構造が反映していたと考えられるなど、宮本の考えに疑義を呈しています。最後に坂野氏は、伊奈の寄合に日本の古い文化(土着の民主主義)を見出した宮本の考え方は、対馬に日本の古い文化を見出そうとした八学会連合の考え方に影響を受けていたと指摘しています。これら以外にも、伊奈の寄合については検証が進み、事実誤認も含め、宮本が提示した寄合像を無批判に受け入れることはできなくなりましたが、当時の伊奈には粘り強くすり合わせて満場一致に持っていく合議制が存在し、それを宮本が体験したことは確かです。

 日本では近年、集計民主主義(多数決)に加え熟議民主主義も取り入れる必要があるなど、新しい民主主義のあり方が盛んに議論されていますが、宮本が示唆した「寄合民主主義」には、意思決定のスピードが求められる今日であっても、学ぶべきところはあるように思います。
 
 
        (明治期の伊奈村の図(長崎歴史文化博物館蔵))

 
参考文献
・宮本常一 『宮本常一著作集10 忘れられた日本人』(1971年)
・宮本常一 『私の日本地図15 壱岐・対馬紀行』(1976年)
・佐野眞一 『旅する巨人』(1996年)
・杉本仁 「寄合民主主義に疑義あり」(柳田国男研究会編『柳田国男・民俗の記述』、2000年) 
・坂野徹 「「寄り合い」と朝鮮戦争」(『現代思想』39巻15号、2011年)
・長崎歴史文化博物館蔵 『久原郡図 伊奈村』(明治期)



                           【長崎県文化振興課 松本勇介】
 


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