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三川内焼

その1 フィラデルフィア万博に出品された薄手磁器



三川内焼 色絵草花文碗皿(卵殻磁器) 明治時代 口径(碗)9.5.4cm 皿12.7cm 
「平戸造三川内」高台内上絵赤 長崎歴史文化博物館蔵



 1876年(明治9)、アメリカのフィラデルフィアで万国博覧会が開催されました。アメリカにとって独立百周年の記念すべき博覧会で、国を挙げての大イベントでした。日本にとっては、1873年(明治6)のウィーン万博に次ぐ2回目の博覧会参加であり、国際社会に日本を印象づける格好の機会として明治政府は積極的に参加に取り組みました。
 政府によって組織された博覧会事務局の要請で、長崎県からも様々な特産品や道具類などが出品されましたが、各国審査官の審査の結果、その中から巻莨(まきたばこ)を出品した岸川才市郎と、磁器を出品した深川栄左衛門・深海墨之助・辻勝蔵の4名が受賞しました。深川・深海・辻は有田の陶器商・窯元ですが、当時の有田は長崎県に属していたため、長崎県知事から褒状が渡されることになりました。
 この受賞者の一人深川栄左衛門は、香蘭社の設立者として知られています。フィラデルフィア万博には、この香蘭社を通して三川内焼が出品されました。その具体的な内容は、「小壷(一個素焼紋浪ニ獅子彫画)、薄手ノ茗碗(各種百二十六揃)、花瓶五対」です。
 「薄手ノ茗碗」というのは、当時欧米で高い人気を誇った三川内焼の薄手磁器のことです。「各種百二十六揃」とあることから、様々な種類の文様が施された碗類のセットが出品されたようです。写真の受皿付き碗は、万博出品作ではありませんが、恐らくこのような薄手の磁器に、美しい絵付けが施された作品だったのではないでしょうか。この薄手磁器は、卵の殻のように薄いことから、欧米ではegg-shell china / egg-shell
porcelain
(卵殻磁器)と呼ばれました。国内では、「卵殻手」と称することもあります。
 この卵殻磁器は、1837年に三川内皿山の池田安次郎が完成させたと言われています。当時、その蓋と身を合わせた重さがわずか30グラム程度で、他所では真似のできない薄さであり、いかに高度な成形・焼成技術を有していたかを示しています。その薄さと美しい色絵の文様が欧米で人気を呼び、江戸時代後期から明治時代にかけて、三川内焼の輸出の主力商品となりました。それらは今でも、欧米各地の美術館や博物館に収蔵され、海外でしばしば目にすることができます。

【長崎県文化振興課 松下久子】
 


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