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勝田館主人・田中喜平氏のこと (その1)

『哀思録』3冊

●2011年10月より半年にわたって開催された特別企画展「孫文・梅屋庄吉と長崎」。その展示資料の調査の折に、偶然見つけた資料があります。『哀思録』・・・と題箋にある資料3冊で、現在収蔵するのは長崎歴史文化博物館ですが、もともとは長崎市立博物館に寄贈されていたものです。
 

 

●たまたま手に取った本で、中国語で書かれてあり、巻頭の数ページには孫文の肖像写真などがあったので、孫文関連の書物だとわかりました。あとで調べてわかったのですが、それは孫文が亡くなった1925(大正14)年に、孫文の写真や遺言、実施された葬儀の報告、世界が報道した孫文の哀悼記事、弔電などをまとめた書物でした。編集は孫中山先生国葬紀年委員会となっています。

●弔電を掲載した箇所には日本人の名前も多数ありましたので、もしや・・・と思って確認してみると、ありました。弔電の最後に名前が記されていたのは「梅屋庄吉」でした。 「中山先生為貴国革命之大恩人亦実世界的之偉人今一朝長逝洵為貴国之不幸亦実東洋全体之不幸也嗚呼痛哉謹表弔意而佈微忱於茲東京梅屋庄吉再拝」 ・・・孫中山先生は中国革命の大恩人であり、世界的偉人である。今朝長逝したことは中国にとっても東洋全体にとっても不幸なことである・・・・と梅屋は弔意を打電していました。
 
●しかし、2011年の特別企画展では、この資料について展示されませんでした。 今回、ここで取り上げるのは、その寄贈者に関することです。少し調べてみると、『哀思録』以外にも寄贈資料があり、長崎出身だということもわかりました。どんな人物だったか若干わかることもあり、資料の紹介も兼ねて報告します。 『哀思録』には巻末に寄贈者として「田中喜平」の名前が記されていました。さらに、弔電を送った日本人のなかにも同じ名前がありました。 (続く)
【長崎文化振興課 山口保彦】


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