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「ナガサキ タイムス」とイカルス号事件 

その1 「崎陽雑報」で報道された事件の真相

慶応3年(1867年)7月6日、長崎の丸山で英国水兵2人が泥酔して眠り込んでいたところ、何者かによって殺害されるという事件が起こりました。幕末長崎で起こった外国人への暴行事件、イカルス号事件です。
 
すでに幕府の権威が動揺し、時代は大きく変わろうとしていた時期です。長崎には多くの外国艦船が入港し、外国人居留地が形成されていました。事件の3カ月前の4月、坂本龍馬たちの亀山社中は海援隊と改称して、土佐藩の配下に入り、6月には龍馬と後藤象二郎が上京途上の夕顔丸船内で新しい国の形を相談したと言われます(船中八策)。同じ6月長崎では、浦上のキリシタン信徒が多数捕縛されています(浦上四番くずれ)。7月には町年寄以下の長崎地役人を再編成し、職務のない地役人は遊撃隊(のちの振遠隊)という軍事組織に編制しなおす町方支配の制度改革が断行された時期です。半年後には幕府が政権を返上し(大政奉還)、新政府が樹立されることになります。こんなさなかに起きた事件でした。

イカルス事件の犯人は筑前藩士金子才吉でしたが、金子は2日後に自害。筑前藩は事実を隠匿しました。当時、イギリスの犯人追及は厳しく、一時は海援隊士の犯行が疑われました。しかし、犯人が挙げられることなく、うやむやとなっていました。


「崎陽雑報」第四号

 イギリスは明治新政府に対しても、イカルス号事件の犯人追求を要求し、真相は明治元年10月になってようやく明らかとなりました。犯人が誰であったのかも含めて事件の真相を長崎で報道したのは「崎陽雑報」第四号でした。それは明治元年10月末から11月初めにかけて発行されています。その記事のニュースソースは当時長崎で発行されていた英字新聞の「THE NAGASAKI TIMES」(以下、「ナガサキ タイムス」と記す。)であり、同紙掲載記事の翻訳でした。(続く)

 
※イカルス号事件の概要については『幕末長崎イカルス号事件』(松竹秀雄著)を参照

【長崎県文化振興課 山口保彦】


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