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「ナガサキ タイムス」とイカルス号事件

その3 裁判結果に満足した外国人

  その後、彼らは収監されて事情聴取が行われました。1868年12月26日(11月13日)には上海から一方の当事者であったイカルス号が到着しています。乗組員が証人として、または裁判への立合のために呼ばれたようです。その到着を待って、1868年12月31日(11月18日)に公判が実施され、23人の目撃者、7人の収監者への訊問が行われました。その結果、真相が明らかになり、既に切腹していた金子才吉について、彼が狂気の状態であったことを黒田藩は証明しようとしましたが、それは失敗しています。判決については、長崎では行われず、「Kioto」(東京か)へ送られて処罰されるだろうと「ナガサキ タイムス」は伝えています。

「ナガサキタイムス」1869年1月2日号
 
注目すべきは、最後に、「この裁判は非常に公正に実施され、全く疑いのない事件の真相を得ることになった」(「The trial was conducted in a very fair manner, and there is not much doubt that we have now the true version of this affair.」1869年1月2日号)と記事を締めくくっていることです。「ナガサキ タイムス」の発行者である英国人フランク・ウォルシュも含めて、居留地の外国人らにとって裁判の過程はとても満足のいくものでした。真相究明に直接携わった大隈重信を初め、新政府の長崎府高官がいかに、イギリスを初めとする諸外国に気を遣いながら対応したかが伺われます。榎本武揚等の旧幕府勢力が北方に残り、諸外国を敵に回すことができない状況の中で、幕末の負の遺産を解消させることができて、ホッと胸をなで下ろしたことでしょう。

 
「ナガサキタイムス」は1868年6月27日(慶応4年5月8日)創刊号より、翌年4月3日(明治2年2月22日)の41号までが残されています。イカルス号事件以外にも、小菅修船場オープンを長崎にとって記念すべき日と報道するなど、明治元年の長崎を知る上で重要な情報を与えてくれます。今後の活用が望まれる史料です。内容については、長崎歴史文化博物館レファレンスルームの情報端末で画像として見ることができます。



【長崎県文化振興課 山口保彦】


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