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三川内焼

三川内焼 その8 椋尾菊蔵作 白磁虎置物(2)

 椋尾菊蔵は、江戸時代末期から明治時代にかけて三川内皿山で活躍した陶工でした。記録によると、安政7年(1860)以降、平戸藩御用窯の御細工人として名前が登場します。

 御用窯とは、藩主からの注文品つまり御用の品を焼く窯のことです。『三川内窯業沿革史』によると、寛文8年(1668)に御細工所や御代官役所、御番宅等合計5棟の家屋が新築されたとあり、これが事実なら、その頃御用窯をとりまく環境が本格的に整備されたと考えられます。

 この御用窯で焼かれる注文の品を作るのが御細工人です。彼らは、皿山の陶工の中から選抜された優秀な職人で、藩から徒士組(かちぐみ)に任命されるなど、武士の身分が与えられ、扶持米を支給されながら製陶業に従事していました。

 細工人といっても、細工物(ロクロを使わない造形作品)の製作を専門にした職人とは限りません。画工も御細工人と呼ばれていました。平戸藩では、御用窯の製陶にたずさわった職人、つまり御細工所で働いた職人を総称して御細工人と呼んでいたようです。

染付千鳥文三足付香炉 平戸焼(三川内焼) 染付千鳥文三足付香炉 平戸焼(三川内焼)

染付千鳥文三足付香炉 平戸焼(三川内焼) 文久2年(1862) 長崎歴史文化博物館蔵

 白磁虎置物の作者である椋尾菊蔵に話を戻しましょう。彼の父才助(才介)も同じく御細工人であり、優秀な技術は父譲りだったのかもしれません。そうした菊蔵の作風をもっと知る手がかりがあります。彼は幕末に、写真でご紹介している千鳥文の三足香炉を製作しています。香炉の底部に呉須で「文久2 戌五月日 椋菊」と記されていることから、文久2年(1862)に椋尾菊蔵が製作したことが分かります。 

 香炉の胴に千鳥が不規則ですがバランスよく描かれ、その下に配された境界をぼかした染付の帯が水の広がりを感じさせる巧みな表現が見られます。また、丸味のある香炉の胴と先端が丸くカーブした三足は、優しく洗練された印象を与えます。

 このように、幅広い表現力を持つ菊蔵は、明治12年(1879)に長崎公園で開催された長崎博覧会に種々の細工物と白磁干支置物を出品しました。白磁虎置物は、その干支置物十二体のうちの一つだったのかもしれません。(おわり)

【長崎県文化振興課 松下久子】 


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