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勝田館主人・田中喜平氏のこと (その7)

旅館勝田館


●長崎出身の田中喜平が上海で開いた旅館勝田館は、宮崎滔天などの中国の革命を支援する日本人がよく利用する旅館でした。さらに孫文や黄興などの革命家たちとも親しく交流していたことが、これまで紹介してきた寄贈写真や滔天の日記から推察されます。

●勝田館は上海の西華徳路3257号にありました。長崎歴史文化博物館に所蔵されている大正12(1923)年の『支那在留邦人人名録』を見ると「勝田館 旅館業  ×田中フジ(長崎市)西華徳路三二五七号・・・・・電話北二三五番」とあります。西華徳路は現在の長治路で、当時は日本人が多く住んだ虹口地区にありました。

●また、大正 8(1919)年の『上海案内』(長崎歴史文化博物館蔵)を見ると上海には日本人経営の旅館として七館あり、そのうちの1つとして「勝田館は気安きを以て知られ」ると紹介されています。

●長崎に残る資料では、県庁文書として残された「鑑札渡原簿」(県図17 297)のなかに明治 10(1877)年に質屋の鑑札を渡された人物に田中喜平の名が記されていました。場所は勝山町でした。この人物と上海の勝田館主人とが同一人物かどうかということは、今後の研究に待たなければなりませんが、もし同一人物だとすれば勝田館の名称は、その出身町の長崎市勝山町にちなむものかもしれません。

 

【長崎県文化振興課 山口保彦】


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