Miyamoto Tsuneichi and Nagasaki

(1) A Setting for The Forgotten Japanese, His Representative Work

 ノンフィクション作家の佐野眞一が「旅する巨人」と称した民俗学者の宮本常一は、旅する長崎学のコラムで一度は取り上げてみたい人物です。

宮本は、1907年に山口県周防大島に生まれ、1929年に大阪府立天王寺師範学校を卒業し、大阪府で小学校教員をしながら、柳田国男や渋沢敬三から民俗学を学びました。1939年に学校を退職し、アチック・ミューゼアム・ソサエティ(日本常民文化研究所)に入り、民俗調査に没頭しました。全国離島振興協議会初代事務局長(1954年)、武蔵野美術大学教授(1965年)、日本観光文化研究所初代所長(1966年)を歴任し、1981年に永眠しました。

宮本と長崎との関わりですが、宮本は民俗調査のために、対馬、壱岐、五島、小値賀島、平戸島、樺島など県内の多くの島々を訪れ、たくさんの著作を残しています。また、1960年に長崎市で開かれた長崎県離島振興青年推進員会議にも出席しています。

本稿では宮本の代表作であり、網野善彦(歴史学者)や司馬遼太郎(作家)、宮崎駿(アニメーション作家)が愛読書と公言した『忘れられた日本人』の長崎に関する文章を取り上げたいと思います。同書には、1950・51年の九学会連合対馬総合調査を記録した「対馬にて」および「梶田富五郎翁」の2篇が収録されています。ここでは、宮本が1950年7月に対馬豆酘村浅藻の漁師・梶田富五郎(当時85歳)を訪ねた時の聞き書きを引用し、オーラルライフヒストリーを通して伝統的な庶民の生活を明らかにすることを重視した、宮本民俗学の一端に触れていただきたいと思います。

まァ一日にタイの二、三十貫も釣って見なされ、指も腕も痛うなるけえ。それがまた大けな奴ばっかりじぇけえのう。ありゃァ、かかったぞォ、と思うて引こうとするとあがって来やァせん。岩へでもひっかけたのかと思うと糸をひいていく。それを、あしらいまわして機嫌をとって船ばたまで引きあげるなァ、容易なことじゃァごいせん。きらわれたおなごをくどくようなもので、あの手この手で、のばしたりちぢめたり、下手をしたら糸をきるけえのう。そのかわり引きあげたときのうれしさちうたら―、あったもんじゃァない。そねえなタイを一日に十枚も釣って見なされ、たいがいにゃァええ気持になる。晩にゃ一杯飲まにゃァならんちう気にもなりまさい。そういう時にゃァ金もうけのことなんど考えやァせん。ただ魚を釣るのがおもしろうて、世の中の人がなぜみな漁師にならぬのかと不思議でたまらんほどじゃった。
(『宮本常一著作集10 忘れられた日本人』)

 

木村哲也(民俗学者)の『忘れられた日本人の舞台を旅する』や毛利甚八(作家)の『宮本常一を歩く』のように、宮本の著作を手に旅に出ると、普段の旅ではなかなか味わえないような長崎に出会えるかもしれません。

参考:長崎県が登場する宮本の主な著作

 

・『宮本常一著作集4 日本の離島1』 (対馬、壱岐、五島、高島など)
・『宮本常一著作集5 日本の離島2』 (対馬、五島、樺島)
・『宮本常一著作集10 忘れられた日本人』 (対馬)
・『宮本常一著作集11 中世社会の残存』 (対馬、五島、平戸島など)
・『宮本常一著作集20 海の民』 (対馬)
・『宮本常一著作集26 民衆の知恵を訪ねて』 (五島、小値賀島)
・『宮本常一著作集28 対馬漁業史』
・『宮本常一著作集35 離島の旅』 (対馬、壱岐、五島、平戸島)
・『私の日本地図5 五島列島』
・『私の日本地図15 壱岐・対馬紀行』
【長崎県文化振興課 松本勇介】