長崎学WEB学会
Nagasaki Studies Society on the Web
三川内焼 その10
Mikawachi Ware (10)
デヤス商会
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この銘から、神戸の外国人居留地36番地のデヤス商会の注文で、三川内の豊嶋が製作したということがわかります。

所在地が神戸外国人居留地の36番地であるということをてがかりに調べてみると、デヤス商会の英語名は「A. De Ath & Co.」で、英国人のデ・アス氏が代表を勤める商社であることがわかりました。統一された日本語名は無かったようで、当時の記録や印刷物を見ると「デヤス商会」の他に、「デ・アス商会」、「ド・アス商会」、「デー・アッス商会」などがあり、いろいろな名前で呼ばれていたようです。
デヤス商会は、1870年(明治3)から1909年(明治42)までの40年間、神戸の外国人居留地で貿易業、競売業を営んでいました。最初は49番地で操業しますが、36番地にあったのは1882年(明治15)から1900年(明治33)でした。ですから、図1の瓢形瓶は、デヤス商会が36番地にあった1882年から1900年の間に作られたと考えられるのです。

デアス商会の祝会 当港居留地三十六番館にては毎年十一月三日我が天長節の佳辰を祝するため西須磨村にある同商会の遊園地に於て
祝会を開き内外の重立ちたる人々を招待するを例とし居れるやにて本年も明后三日に其催しあり本社も案内状を贈られたり

以上のことから、デヤス商会は、神戸の外国人居留地のみならず日本社会においても幅広い交流を持っており、しかもその主催する行事が新聞で取り上げられるほど存在感のある会社であったことがうかがえます。
三川内焼の売り込みに東奔西走していた豊島政治も、なんらかの機会にこのデヤス商会との関係を作り上げ、特別な注文品を受注生産することができたのでしょう。
この白磁の瓶に巻き付いた瑠璃色の龍の瞳には、そうした明治中期の神戸外国人居留地の情景が焼き付いているのかもしれません。(おわり)
A. De Ath & Co.
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この銘から、神戸の外国人居留地36番地のデヤス商会の注文で、三川内の豊嶋が製作したということがわかります。

所在地が神戸外国人居留地の36番地であるということをてがかりに調べてみると、デヤス商会の英語名は「A. De Ath & Co.」で、英国人のデ・アス氏が代表を勤める商社であることがわかりました。統一された日本語名は無かったようで、当時の記録や印刷物を見ると「デヤス商会」の他に、「デ・アス商会」、「ド・アス商会」、「デー・アッス商会」などがあり、いろいろな名前で呼ばれていたようです。
デヤス商会は、1870年(明治3)から1909年(明治42)までの40年間、神戸の外国人居留地で貿易業、競売業を営んでいました。最初は49番地で操業しますが、36番地にあったのは1882年(明治15)から1900年(明治33)でした。ですから、図1の瓢形瓶は、デヤス商会が36番地にあった1882年から1900年の間に作られたと考えられるのです。

デアス商会の祝会 当港居留地三十六番館にては毎年十一月三日我が天長節の佳辰を祝するため西須磨村にある同商会の遊園地に於て
祝会を開き内外の重立ちたる人々を招待するを例とし居れるやにて本年も明后三日に其催しあり本社も案内状を贈られたり

以上のことから、デヤス商会は、神戸の外国人居留地のみならず日本社会においても幅広い交流を持っており、しかもその主催する行事が新聞で取り上げられるほど存在感のある会社であったことがうかがえます。
三川内焼の売り込みに東奔西走していた豊島政治も、なんらかの機会にこのデヤス商会との関係を作り上げ、特別な注文品を受注生産することができたのでしょう。
この白磁の瓶に巻き付いた瑠璃色の龍の瞳には、そうした明治中期の神戸外国人居留地の情景が焼き付いているのかもしれません。(おわり)







