Mikawachi Ware (9) White Porcelain Lapis-Lazuli-Glazed Gourd-shaped Bottle with a Dragon Relief

—Mid-Meiji Mikawachi Ware Vessel Produced on Order of a British Trading Firm—

 

 三川内焼は、1830年オランダ向けの輸出を開始し、特に薄手磁器が海外で高く評価されたことから、江戸時代後期から明治時代にかけて海外輸出に力を入れてきました。長崎県の『明治十四年陶器製造沿革調』(1881年)によると、当時の生産額は輸出用40,800円、国内向け16,304円で、輸出が全生産額の7割を占めており、数字の上でも海外輸出に重点をおいていたことがわかります。
 
 このように、製品の多くが輸出されていたにもかかわらず、当時の三川内焼の輸出にかかわった外国商社についてはよくわかっていません。
今回ご紹介する三川内焼の作品は、そうした外国商社と三川内焼との関わりを知る手がかりとなる重要な作品です[図1]。

 

[図1]白磁瑠璃釉龍貼付瓢形瓶 三川内焼 豊島政治 
明治15年(1882)~明治33年(1900) 高さ43.5cm 長崎歴史文化博物館蔵

 

 この作品は、白磁の瓢形瓶に瑠璃釉がかけられた凛々しい龍が巻きつき、白と瑠璃色のコントラストが印象的です。細工物を得意とした三川内らしく、龍は型を使って成形した後、丁寧に仕上げの彫刻が施され、迫力のある龍の表現を生んでいます。しかも鱗の一枚一枚が瑠璃釉の濃淡とあいまって、龍の胴体は立体的でしなやかに見えます[図2]。

 

[図2] 同 拡大

 

そして特筆すべきは、この作品の底部に、次のような銘が記されている点です[図3]。
「神戸英三拾六番館デヤス商会ノ注文ニヨリ是ヲ製ス三川内豊嶋」

 

[図3]白磁瑠璃釉龍貼付瓢形瓶 底部

 

 この銘は、神戸の外国人居留地36番地にあるデヤス商会の注文によって、三川内の豊嶋が作ったと解釈できます。デヤス商会が居留地の36番地にあった時期は、明治15年(1882)から明治33年(1900)の間でした。したがって、この瓶は、明治中期の1882年から1900年の間に作られたと推測されます。
 では、この瓢形瓶を注文したデヤス商会とはどのような会社だったのでしょうか。
 次号で詳しく触れたいと思います。(つづく) 

 

【長崎県文化振興課 松下久子】