長崎学WEB学会
Nagasaki Studies Society on the Web
特別企画展「孫文・梅屋庄吉と長崎」に寄せて
On the Special Exhibition Sun Yat-sen, Umeya Shokichi and Nagasaki
もう1つの近代日中関係史 その1
●特別企画展「孫文・梅屋庄吉と長崎」開催
期間;平成23年10月1日~平成24年3月25日までの6ヶ月
場所;長崎歴史文化博物館3F企画展示室
主催;長崎県・長崎市・長崎歴史文化博物館
●明治時代を駆け抜けた梅屋庄吉の人生ストーリー
・明治元年に長崎で生まれた少年梅屋庄吉が、海外雄飛の夢を実現させ、活動写真フィルムを携えて日本へ帰国します。黎明期の活動写真界で莫大な富を築き、日活の創立者の一人でもあり、実業家として成功しました。
・その足跡をたどるとともに、庄吉が設立したMパテー商会が制作して現存する活動写真も一部紹介します。
【中国の革命運動の支援者として】
・実業家としての顔とは別に、孫文を初めとする中国の革命運動を担った人物たちに多大な支援をしたという革命支援者としての顔も持っていました。
・孫文が亡くなった後も、日中関係悪化を憂慮して、友好親善のために尽くした事実を、今に残る資料によって知ることができます。
・梅屋庄吉が残した日記や写真・手紙・電報類、梅屋庄吉が制作させ、中国に残る孫文の銅像など。
●なぜ、中国の革命運動に関わったのかを考えること
・私も梅屋庄吉の生涯を知るにつけ、実業家であった彼が、なぜそこまで中国の革命運動を支援していったのかということが気になりました。
・孫文の辛亥革命を助けた日本人として、もっとも有名な宮崎滔天(熊本県荒尾市出身)でさえ、中学や高校の日本史で、取り上げられることはまれであり、宮崎や梅屋など、これほどまでに中国革命に深く関わった日本人がいたことは、一般的にはあまり知られていません。
・明治時代以降の近代について、中国や朝鮮半島を中心としたアジア諸国と日本との関係史をみると、出兵や戦争など、どうしても負の側面をもったできごとが多く、明るく友好的な話になりにくい事実があります。
・その中で、梅屋庄吉を含めて、孫文を支援した多くの日本人の存在(中国との連帯を模索した人々の存在)と、彼らを中国の革命運動へと突き動かしていったものは何だったのかを考えるきっかけとなるものと思います。
・言うまでもなく、歴史は定まった一本道があるのではなく、その時その時、多様な選択肢があった中で、その時代を生きた人々がつくってきた道のりであるということを、改めて考える材料をも提供してくれるでしょう。
次回以降は、このことを考えてみたいと思います。
Another Aspect of the Modern History of Japan-China Relations [1]
●特別企画展「孫文・梅屋庄吉と長崎」開催
期間;平成23年10月1日~平成24年3月25日までの6ヶ月
場所;長崎歴史文化博物館3F企画展示室
主催;長崎県・長崎市・長崎歴史文化博物館
●明治時代を駆け抜けた梅屋庄吉の人生ストーリー
・明治元年に長崎で生まれた少年梅屋庄吉が、海外雄飛の夢を実現させ、活動写真フィルムを携えて日本へ帰国します。黎明期の活動写真界で莫大な富を築き、日活の創立者の一人でもあり、実業家として成功しました。
・その足跡をたどるとともに、庄吉が設立したMパテー商会が制作して現存する活動写真も一部紹介します。
【中国の革命運動の支援者として】
・実業家としての顔とは別に、孫文を初めとする中国の革命運動を担った人物たちに多大な支援をしたという革命支援者としての顔も持っていました。
・孫文が亡くなった後も、日中関係悪化を憂慮して、友好親善のために尽くした事実を、今に残る資料によって知ることができます。
・梅屋庄吉が残した日記や写真・手紙・電報類、梅屋庄吉が制作させ、中国に残る孫文の銅像など。
●なぜ、中国の革命運動に関わったのかを考えること
・私も梅屋庄吉の生涯を知るにつけ、実業家であった彼が、なぜそこまで中国の革命運動を支援していったのかということが気になりました。
・孫文の辛亥革命を助けた日本人として、もっとも有名な宮崎滔天(熊本県荒尾市出身)でさえ、中学や高校の日本史で、取り上げられることはまれであり、宮崎や梅屋など、これほどまでに中国革命に深く関わった日本人がいたことは、一般的にはあまり知られていません。
・明治時代以降の近代について、中国や朝鮮半島を中心としたアジア諸国と日本との関係史をみると、出兵や戦争など、どうしても負の側面をもったできごとが多く、明るく友好的な話になりにくい事実があります。
・その中で、梅屋庄吉を含めて、孫文を支援した多くの日本人の存在(中国との連帯を模索した人々の存在)と、彼らを中国の革命運動へと突き動かしていったものは何だったのかを考えるきっかけとなるものと思います。
・言うまでもなく、歴史は定まった一本道があるのではなく、その時その時、多様な選択肢があった中で、その時代を生きた人々がつくってきた道のりであるということを、改めて考える材料をも提供してくれるでしょう。
次回以降は、このことを考えてみたいと思います。