長崎学WEB学会
Nagasaki Studies Society on the Web
秋ノ浦焼
Akinoura Ware
その1 謎の多い秋ノ浦焼き
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稲佐郷飽浦(現在、長崎市飽の浦町)で焼かれた秋ノ浦焼です。
秋ノ浦焼の名前は、窯が設けられた飽浦という地名に因んでいます。この地は、江戸時代、アクノ浦、悪ノ浦、飽浦などと記録されてきましたが、秋ノ浦と称されることもあり、他より趣のあるこの呼び名が焼物に付けられています。

秋ノ浦焼は、安政4年(1857)に建設が開始された長崎製鉄所の建築用の煉瓦を焼く窯で作られたと言われてきました。
重工業施設の建設現場のかたわらで、こんなに可憐な焼き物が作られていたとは、にわかには信じがたいことでしょう。

伝世品が少なく、消費地での出土例も無く、窯跡も残っていませんが、先学の残した研究成果や長崎製鉄所関連の記録類をたよりに、これから数回に分けて、その謎に迫ってみようと思います。
(1) Many Mysteries about Akinoura Ware
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稲佐郷飽浦(現在、長崎市飽の浦町)で焼かれた秋ノ浦焼です。
秋ノ浦焼の名前は、窯が設けられた飽浦という地名に因んでいます。この地は、江戸時代、アクノ浦、悪ノ浦、飽浦などと記録されてきましたが、秋ノ浦と称されることもあり、他より趣のあるこの呼び名が焼物に付けられています。

秋ノ浦焼は、安政4年(1857)に建設が開始された長崎製鉄所の建築用の煉瓦を焼く窯で作られたと言われてきました。
重工業施設の建設現場のかたわらで、こんなに可憐な焼き物が作られていたとは、にわかには信じがたいことでしょう。

伝世品が少なく、消費地での出土例も無く、窯跡も残っていませんが、先学の残した研究成果や長崎製鉄所関連の記録類をたよりに、これから数回に分けて、その謎に迫ってみようと思います。







