長崎学WEB学会
Nagasaki Studies Society on the Web
長崎と坂本龍馬と船
Nagasaki, Sakamoto Ryoma, and Ships
その4 坂本龍馬の名前は、なぜ長崎奉公所の記録に表れてないのか
もう少し詳しく前後の動きを見てみましょう。岩崎弥太郎の日記『瓊浦日歴』の6月6日付けに「午後与才谷梅太郎(坂本龍馬)訪大州(藩)之船将玉井某、談以呂波丸代価之壱事」とあります。いろは丸事件の紀州藩との談判に決着を付けた龍馬は、岩崎弥太郎と大洲藩の玉井某を訪れ、いろは丸に代わる船のことについて話し合いを持っています。この玉井某が先ほどの史料(画像3)に出てきた玉井俊次郎と思われ、いろは丸の代価としてシーボルンが龍馬を介して購入されたと思われます。では、このシーボルン購入の記録は各藩が長崎奉行所に提出した軍用品購入願いの綴りに出てくるのでしょうか。
卯(慶応3年)六月十日
松平土佐守内 岩崎弥太郎
(「慶応3年~明治辰年 諸家外国船買入御留並船目録綴込」長崎歴史文化博物館蔵・画像4)
つまりこういうことではないでしょうか。土佐藩の一組織である海援隊が仲介する取引であっても、長崎奉行所に届ける際は、土佐藩からの届けとなる。よって、龍馬の名前が奉行所の記録に出てくることはない、ということです。このように考えると、亀山社中の取引は薩摩藩名義、海援隊の取引は土佐藩名義で長崎奉行所に届けが出された可能性があるわけで、薩摩藩や土佐藩からの届け出の中に、龍馬らがかかわった取引がないか、今一度吟味する必要があるかも知れません。(おわり)
(4) Why Is There No Mention of Sakamoto Ryoma in Records Kept by the Nagasaki Magistrate’s Office?
もう少し詳しく前後の動きを見てみましょう。岩崎弥太郎の日記『瓊浦日歴』の6月6日付けに「午後与才谷梅太郎(坂本龍馬)訪大州(藩)之船将玉井某、談以呂波丸代価之壱事」とあります。いろは丸事件の紀州藩との談判に決着を付けた龍馬は、岩崎弥太郎と大洲藩の玉井某を訪れ、いろは丸に代わる船のことについて話し合いを持っています。この玉井某が先ほどの史料(画像3)に出てきた玉井俊次郎と思われ、いろは丸の代価としてシーボルンが龍馬を介して購入されたと思われます。では、このシーボルン購入の記録は各藩が長崎奉行所に提出した軍用品購入願いの綴りに出てくるのでしょうか。
卯(慶応3年)六月十日
松平土佐守内 岩崎弥太郎
(「慶応3年~明治辰年 諸家外国船買入御留並船目録綴込」長崎歴史文化博物館蔵・画像4)
つまりこういうことではないでしょうか。土佐藩の一組織である海援隊が仲介する取引であっても、長崎奉行所に届ける際は、土佐藩からの届けとなる。よって、龍馬の名前が奉行所の記録に出てくることはない、ということです。このように考えると、亀山社中の取引は薩摩藩名義、海援隊の取引は土佐藩名義で長崎奉行所に届けが出された可能性があるわけで、薩摩藩や土佐藩からの届け出の中に、龍馬らがかかわった取引がないか、今一度吟味する必要があるかも知れません。(おわり)