長崎学WEB学会
Nagasaki Studies Society on the Web
長崎奉行所の公式記録に記されたジョン万次郎
John Manjiro Mentioned in Official Records Kept by the Nagasaki Magistrate’s Office
その2
・今年で何歳になるのか
・宗教は何か
・どんな荷物を積み、どこへ行き、いつ頃土佐国を出発したか
・乗り組み人数は何人か
・他に遭難した船はなかったか
・海上で暴風にあい、無人島に漂着したあと、外国船へ助け
られたときのいきさつについて
・土佐国を出発したとき、お金や武器を持っていなかったか
・外国に滞在していたとき、キリスト教を勧められなかった
か、また、商売をしなかったか
・外国をいつ出発し、琉球国へ上陸したいきさつについて


取り調べ開始から土佐藩へ引き渡されるまでの期間は約9カ月あります。この間、連日取り調べがおこなわれていたわけではありません。気分転換も必要だったのでしょう、万次郎らは奉行所の許可を得て、何度か寺社等を参詣しています。記録からは次の5件が確認できます。
(1)嘉永4年11月21日 金毘羅山・聖福寺・福済寺・本蓮寺
(2)同年 12月13日 金毘羅山
(3)嘉永5年 2月25日 金毘羅山・松森社・伊勢宮
(4)同年 閏2月25日 晧台寺・大音寺・大光寺・崇福寺・
清水寺・大徳寺(画像4)
(5)同年 6月16日 祇園社・清水寺
これらの寺社のほとんどは長崎市内に現存しており、ジョン万次郎関連の史跡と呼べるでしょう。
嘉永5年6月19日夕方、万次郎らの受け取りのため、堀部太四郎ら土佐藩士が長崎に到着します。長崎における土佐藩の用達商人・西川三次郎宅へ入り、翌20日、藩士到着が用達の西川三次郎より長崎奉行所へ届けられています(画像5)。土佐藩のように、長崎に蔵屋敷(藩邸)を持たない藩の藩士到着の連絡を用達がおこなっていることは、長崎の商人(町人)である用達が公的な役割を担っていたことを示しており、たいへん興味深い事例です(用達については以前、本コラム「長崎と広島」でも少しふれました)。そして万次郎らは、6月23日、土佐藩へ引き渡されています。前回取り上げた万次郎らに対するお構いなしという判決(「犯科帳」(その1の画像1))は、このとき出されたものです。(つづく)
(2)
・今年で何歳になるのか
・宗教は何か
・どんな荷物を積み、どこへ行き、いつ頃土佐国を出発したか
・乗り組み人数は何人か
・他に遭難した船はなかったか
・海上で暴風にあい、無人島に漂着したあと、外国船へ助け
られたときのいきさつについて
・土佐国を出発したとき、お金や武器を持っていなかったか
・外国に滞在していたとき、キリスト教を勧められなかった
か、また、商売をしなかったか
・外国をいつ出発し、琉球国へ上陸したいきさつについて


取り調べ開始から土佐藩へ引き渡されるまでの期間は約9カ月あります。この間、連日取り調べがおこなわれていたわけではありません。気分転換も必要だったのでしょう、万次郎らは奉行所の許可を得て、何度か寺社等を参詣しています。記録からは次の5件が確認できます。
(1)嘉永4年11月21日 金毘羅山・聖福寺・福済寺・本蓮寺
(2)同年 12月13日 金毘羅山
(3)嘉永5年 2月25日 金毘羅山・松森社・伊勢宮
(4)同年 閏2月25日 晧台寺・大音寺・大光寺・崇福寺・
清水寺・大徳寺(画像4)
(5)同年 6月16日 祇園社・清水寺
これらの寺社のほとんどは長崎市内に現存しており、ジョン万次郎関連の史跡と呼べるでしょう。
嘉永5年6月19日夕方、万次郎らの受け取りのため、堀部太四郎ら土佐藩士が長崎に到着します。長崎における土佐藩の用達商人・西川三次郎宅へ入り、翌20日、藩士到着が用達の西川三次郎より長崎奉行所へ届けられています(画像5)。土佐藩のように、長崎に蔵屋敷(藩邸)を持たない藩の藩士到着の連絡を用達がおこなっていることは、長崎の商人(町人)である用達が公的な役割を担っていたことを示しており、たいへん興味深い事例です(用達については以前、本コラム「長崎と広島」でも少しふれました)。そして万次郎らは、6月23日、土佐藩へ引き渡されています。前回取り上げた万次郎らに対するお構いなしという判決(「犯科帳」(その1の画像1))は、このとき出されたものです。(つづく)








