長崎学WEB学会
Nagasaki Studies Society on the Web
長崎奉行所の公式記録に記されたジョン万次郎
John Manjiro Mentioned in Official Records Kept by the Nagasaki Magistrate’s Office
その4
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ちなみに、九助らが漂流したとき、乗組員は全員で13人だったことは、前回述べましたが、九助ら5人を除く残り8人も別の外国船に救助されています。そして、病死した1人を除く7人が、嘉永5年6月ロシア船により伊豆国へ送られて来ています(『通航一覧続輯』第3巻)。この紀州日高郡の天寿丸の乗組員13人の漂流も、万次郎らの漂流に負けないくらい劇的なものだったようです。
今回は4回にわたり長崎奉行所の公式記録に記されたジョン万次郎について見てきました。以前、中国福建省へ漂着した奥州南部の人々の漂流記録(「宝暦元年 唐国福建省江致漂着候奥州南部之者六人口書」『長崎関係史料選集』第1集)を読んだことがあるのですが、この二つの漂流体験の大きな違いは、奥州南部の人々が唐船(中国貿易船)に送られて帰国したのに対し、鳥島に漂着しアメリカ船に救助されハワイに到着した万次郎らは、中国行きのアメリカ船に途中まで乗せてもらうものの、基本的に自力で日本へ帰ってきたことではないでしょうか。これは江戸時代、日本・中国・朝鮮の東アジア三国の間に、互いに漂流民を送還するという体制ができていたのに対し、アメリカとの間にはこのような取り決めがなされていなかったことから生じたものです。江戸時代の東アジアは平和で友好的な関係を築いていたのでした。このような日本と東アジア諸国との関係を、今回漂流民の記録を読むことで理解することができました。(おわり)
(4)
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ちなみに、九助らが漂流したとき、乗組員は全員で13人だったことは、前回述べましたが、九助ら5人を除く残り8人も別の外国船に救助されています。そして、病死した1人を除く7人が、嘉永5年6月ロシア船により伊豆国へ送られて来ています(『通航一覧続輯』第3巻)。この紀州日高郡の天寿丸の乗組員13人の漂流も、万次郎らの漂流に負けないくらい劇的なものだったようです。
今回は4回にわたり長崎奉行所の公式記録に記されたジョン万次郎について見てきました。以前、中国福建省へ漂着した奥州南部の人々の漂流記録(「宝暦元年 唐国福建省江致漂着候奥州南部之者六人口書」『長崎関係史料選集』第1集)を読んだことがあるのですが、この二つの漂流体験の大きな違いは、奥州南部の人々が唐船(中国貿易船)に送られて帰国したのに対し、鳥島に漂着しアメリカ船に救助されハワイに到着した万次郎らは、中国行きのアメリカ船に途中まで乗せてもらうものの、基本的に自力で日本へ帰ってきたことではないでしょうか。これは江戸時代、日本・中国・朝鮮の東アジア三国の間に、互いに漂流民を送還するという体制ができていたのに対し、アメリカとの間にはこのような取り決めがなされていなかったことから生じたものです。江戸時代の東アジアは平和で友好的な関係を築いていたのでした。このような日本と東アジア諸国との関係を、今回漂流民の記録を読むことで理解することができました。(おわり)








