長崎学WEB学会
Nagasaki Studies Society on the Web
長崎資料から見る梅屋庄吉
Umeya Shokichi Seen by Nagasaki Documents
その5 梅屋庄吉の父・吉五郎と梅屋商店(2)
この西浜町31番地にあった梅屋商店ですが、大正9年(1920)、古町(現在の公会堂前-諏訪神社前間)と築町間に路面電車が開通したことにともない、立ち退いたと思われます。では、その後の梅屋商店はどうなったのでしょうか。
年 商号 氏名 営業所 資料名
①大正07(1918) - 北川五郎 西浜町31 長崎商工名録(国会図書館蔵)
②大正09(1920) - 北川マス 西浜町31 長崎商工名録(県立図書館蔵)
※大正09(1920) 古町-築町間に路面電車開通
③大正12(1923) (梅屋商店に関する記載なし) 長崎市商工名鑑
④大正13(1924) 梅谷商店 北川マス 西浜町63 長崎商工名録
⑤昭和02(1927) 梅谷商店 北川マス 西浜町63 長崎商工名録
⑥昭和04(1929) 梅谷 北川マス 西浜町63 長崎商工名録(県立図書館蔵)
⑦昭和06(1931) - 北川マス 西浜町63 長崎商工名録
⑧昭和09(1934) - 北川マス 西浜町63 長崎県商工人名録
⑨昭和13(1938) 梅谷商店 北川マス 西浜町63 長崎県商工人名録
⑩昭和16(1941) 梅谷商店 北川マス 銅座町32 長崎商工人名録(県立図書館蔵)
この一覧に、先ほどの車田氏の記述を加味して述べてみますと、梅屋商店の経営をまかされたのが北川五郎・マス夫妻で、古着屋を営んでいました。梅屋商店は大正9年に路面電車が開通する年までは西浜町31番地にありましたが立ち退いたと思われ、大正13年には西浜町63番地に移転しました。ちなみに、この63番地は、以前ステラビルがあった付近で、現在は駐車場になっています。現在の町名は銅座町ですが、西浜通りという名称に名をとどめています。そして、太平洋戦争がはじまった昭和16年(1941)までに、さらに銅座町32番地に移っています。⑩の次に商工関係者の名鑑で確認できるのは、昭和28年(1953)の『長崎経済名鑑』(県立長崎図書館蔵)ですが、これに、「梅谷商店」や「北川マス」を確認できないので、戦後の梅屋商店の動向は不明です。
このように、梅屋庄吉が東京に拠点を移した後も、梅屋商店は長崎で長く続いていたことが分かりました。長崎において、梅屋の存在をより身近に感じることができると思います。なお、今回取り上げた、梅屋商店が戦前まで存続していたという調査については、平成23年(2011)9月30日付けの『毎日新聞』でも取り上げられました。(おわり)
(5) Umeya Kichigoro, the Father of Umeya Shokichi, and Umeya Company [2]
この西浜町31番地にあった梅屋商店ですが、大正9年(1920)、古町(現在の公会堂前-諏訪神社前間)と築町間に路面電車が開通したことにともない、立ち退いたと思われます。では、その後の梅屋商店はどうなったのでしょうか。
年 商号 氏名 営業所 資料名
①大正07(1918) - 北川五郎 西浜町31 長崎商工名録(国会図書館蔵)
②大正09(1920) - 北川マス 西浜町31 長崎商工名録(県立図書館蔵)
※大正09(1920) 古町-築町間に路面電車開通
③大正12(1923) (梅屋商店に関する記載なし) 長崎市商工名鑑
④大正13(1924) 梅谷商店 北川マス 西浜町63 長崎商工名録
⑤昭和02(1927) 梅谷商店 北川マス 西浜町63 長崎商工名録
⑥昭和04(1929) 梅谷 北川マス 西浜町63 長崎商工名録(県立図書館蔵)
⑦昭和06(1931) - 北川マス 西浜町63 長崎商工名録
⑧昭和09(1934) - 北川マス 西浜町63 長崎県商工人名録
⑨昭和13(1938) 梅谷商店 北川マス 西浜町63 長崎県商工人名録
⑩昭和16(1941) 梅谷商店 北川マス 銅座町32 長崎商工人名録(県立図書館蔵)
この一覧に、先ほどの車田氏の記述を加味して述べてみますと、梅屋商店の経営をまかされたのが北川五郎・マス夫妻で、古着屋を営んでいました。梅屋商店は大正9年に路面電車が開通する年までは西浜町31番地にありましたが立ち退いたと思われ、大正13年には西浜町63番地に移転しました。ちなみに、この63番地は、以前ステラビルがあった付近で、現在は駐車場になっています。現在の町名は銅座町ですが、西浜通りという名称に名をとどめています。そして、太平洋戦争がはじまった昭和16年(1941)までに、さらに銅座町32番地に移っています。⑩の次に商工関係者の名鑑で確認できるのは、昭和28年(1953)の『長崎経済名鑑』(県立長崎図書館蔵)ですが、これに、「梅谷商店」や「北川マス」を確認できないので、戦後の梅屋商店の動向は不明です。
このように、梅屋庄吉が東京に拠点を移した後も、梅屋商店は長崎で長く続いていたことが分かりました。長崎において、梅屋の存在をより身近に感じることができると思います。なお、今回取り上げた、梅屋商店が戦前まで存続していたという調査については、平成23年(2011)9月30日付けの『毎日新聞』でも取り上げられました。(おわり)