Nagasaki Branch of the Hongkong and Shanghai Bank, Espionage, and Counterespionage

(1) Construction of Battleship Musashi and the Former Hongkong and Shanghai Bank Nagasaki Branch

 

■「武蔵」建造当時の長崎の雰囲気
 
 戦後70年目となる2015年(平成27)3月、フィリピン・シブヤン海の海底約1,000メートルで日本海軍の戦艦「武蔵」(全長263メートル、基準排水量6万5,000トン)が発見されました。世界最大級の戦艦発見のニュースは、日本のみならず世界でも驚きを持って受け止められ、「武蔵」のふるさとである長崎でも頻繁に報道されました。
「武蔵」は1938年(昭和13)3月29日に三菱重工業長崎造船所の「第800番船」として起工、工事のほとんどは長崎で行われ、1942年(昭和17)8月5日に竣工しました(※1)。
「武蔵」建造にあたり、特筆すべき事項の一つに機密保持の諸対策があります。対策自体は、第一号艦「大和」建造時の広島県・呉と大差ないものでしたが、建造所が海軍工廠ではなく民間造船所であったこと、造船所の立地がすり鉢状地形の底にあたり、対岸の高台などから丸見えという地理的条件も加わり、対策は一層徹底したものとなりました。
このため、「武蔵」建造に関係する地域への立ち入り制限、建造現場の遮蔽、建造関係者による秘密厳守宣誓の実施など、防諜対策は、造船所内とその周辺、対岸の各国領事館や商社が立ち並ぶ東山手、南山手、大浦地区一帯のかつての外国人居留地にも及びました。

 

「武蔵」を建造した第2船台ガントリー・クレーン(一部)(撮影:齋藤)

 
 

 1941年(昭和16)9月20日、第二号艦(「武蔵」)艤装員として長崎に着任した千早正隆氏(当時少佐、「武蔵」高射長兼第五・六分隊長)は、「武蔵」建造前の長崎出張時に感じた華やかさがなくなり、まち全体の雰囲気が「灰黒色の印象」となっていたことに驚かされたと回想しています。
 
長崎にはビルとみなされるものは、県庁の建物と丘の上に立つ活水女学校ぐらいしかなかったが、それらの建物が黒く塗りかえられ……長崎の町の対岸の岸に帯状に長くのびた三菱の造船所が、ほとんど黒一色にその姿をかえ、そのランドマークであった造船々台のガントリー・クレーンも何か黒い覆いをかけている……造船所のすぐ後ろにせまった山の暗緑色の山肌との見分けもつきにくいほどであった
(千早正隆「戦艦武蔵の艤装」)

 
国際都市長崎は、「武蔵」建造当時、機密保持のために〈灰黒色のベール〉に包まれていたのです。
 
■「武蔵」建造と香港上海銀行長崎支店
 
 機密保持対策の対象となった建物のなかには、2014年(平成26)に「長崎近代交流史と孫文・梅屋庄吉ミュージアム」としてリニューアル・オープンした「旧香港上海銀行長崎支店」(国重要文化財、1904年建築)も含まれていました。

 

旧香港上海銀行長崎支店(国重文、1904年建築)(撮影:齋藤)

 

この銀行建物の処遇について、三菱長崎造船所の記録にはつぎのように記されています。 銀行業務自体は、長崎港における貿易額等の低下から1931年(昭和6)に閉鎖していましたが、建物はイギリス人が所有していました。3階建ての建物からは、「武蔵」が艤装を行う予定の向島岸壁が一望できました。そこで、「外人ニ本建物ヲ利用セシメザルノ見地」から海軍当局が1940年(昭和15)に買収し、長崎県警察本部に譲渡したのです。結果、この建物には梅香崎警察署が移転し、造船所対岸の機密保持拠点として「一石二鳥ノ効果」を挙げたといいます。
 
 香港上海銀行長崎支店ハ造船所ヲ一望ニ収メ得ル地点ニアリタル所、当時本銀行ヲ廃止スルニ至リタルヲ以テ、海軍中央当局ニテハ外人ニ本建物ヲ利用セシメザルノ見地ヨリ之ヲ買収シ之ヲ長崎県警察本部ニ譲渡セラレタリ、ソノ結果梅ヶ崎警察署之ニ移転スルコトトナリ、造船所対岸ノ機密保持ニ有利トナリ一石二鳥ノ効果アリタリ
(三菱長崎造船所『軍艦建造事情記(仮称)』)

 

手前中央の石造洋館が香港上海銀行長崎支店。対岸中央、「浅間丸」が繋留中の向島岸壁で「武蔵」の艤装工事も進められました。写真右は飽の浦岸壁で艤装中の「龍田丸」(撮影:昭和4年)(所蔵:齋藤義朗)

 
 

 銀行建物買収の際、同銀行付属のイギリス人「ハリス邸」も「船台ノ対岸真正面ノ位置」にあったため同時に買収され、海軍監督官会議所として監督官、艤装員、出張者等の宿泊施設とされました。
この「ハリス邸」なる住宅は、吉村昭著『戦艦武蔵』など、これまで幾つかの文献に登場していますが、詳細な位置は記されていません。そこで長崎の外国人居留地の詳しいブライアン・バークガフニ氏(長崎総合科学大学教授)に伺ったところ、1931年の長崎支店閉鎖後、銀行建物を購入した人物として「S.J.Halse」という名前が『英国領事館記録』(1931年)に記載されていると御教示いただきました。「ハリス」というのは日本人の読み間違い。正確には「ハルス」と発音すべき名前だそうです。ちなみに「S.J.Halse」が実際に長崎に滞在した記録は確認できず、建物の管理人として「G.Marriott」が「南山手5B」に居住していたとのこと。場所は現在の長崎地方気象台横、合同宿舎住宅付近(長崎市南山手11)にあたります。ここは「武蔵」を建造した第二船台の「対岸真正面ノ位置」にあたることから、「ハリス邸」とは「南山手5B」にあった管理人の住宅を指すものと推定できます。
さて、貿易額の低下によって閉鎖した長崎の銀行建築を「S.J.Halse」は一体何の目的で購入したのでしょうか。ほぼ同時期に日本政府は上海~長崎県経由で香港上海銀行の<裏の顔>情報を入手していたのですが、この点については次回に。(つづく)
 
(※1)「武蔵」は、1941年7月2日から8月1日まで佐世保海軍工廠第七号船渠(現・SSK第4ドック)で入渠工事を行い、終盤の約2ヵ月半は広島県呉の呉海軍工廠にて工事・試験等を行っており、呉で完成しています。
 
(参考)齋藤義朗「戦艦『武蔵』建造と長崎・佐世保」(『戦艦「武蔵」の真実』、学研パブリッシング、2015年)

 

【長崎県文化振興課 主任学芸員 齋藤義朗】