ながさき歴史の旅

ホーム   >  ながさき歴史の旅  >  歴史発見ドライブルート

歴史発見ドライブルート

  • 第12回 韓国外交に奮闘した島 2010年05月06日
    第12回 韓国外交に奮闘した島
     このコーナーでは、長崎県内の歴史を探っていく旅のドライブルートを紹介しています。  今月の注目エリアは『対馬』です。旅の必携アイテムは『旅する長崎学12』です。2009年7月に紹介した『韓国に一番近い島「対馬」』では主に対馬の北部を旅しましたが、今回は南部を中心に紹介します!  対馬がはじめてという人は、先にどんなところかチェックしておこう。 対馬の位置 対馬へのアクセス 対馬をドライブする 体験プログラムを利用する 今回のドライブルート 厳原港 ↓車で約5分 長崎県立対馬歴史民俗資料館〜厳原の城下町風景 ↓車で約5分 お船江跡 ↓車で約20分 尾浦海水浴場 ↓車で約15分 アカハラダカ観測地 ↓車で約15分 あゆもどし自然公園〜龍良山原生林 ↓車で約20分 銀山上(ぎんざんじょう・しろかねの)神社 ↓車で約20分 椎根(しいね)の石屋根 ↓車で約5分 小茂田浜(こもだはま)神社 ↓車で約3分 対州そば〜体験であい塾「匠」 ↓車と徒歩で(三ノ城戸まで)約1時間 金田城跡 スポットの紹介 厳原港 案内は「やんこもくん」。2009年7月に続いての登場です。よろしくね。 長崎県立対馬歴史民俗資料館  まず対馬の歴史を知るために、県立対馬歴史民俗資料館からスタートしましょう。  対馬の文化財、考古学資料、民俗資料、宗家文庫などを収蔵・展示しています。なかでも、日本と朝鮮の修交を目的として派遣された通信使の行列の様子がわかる絵巻など“朝鮮通信使”に関する資料が充実しています。このほか、伊能忠敬(いのうただたか)一行が測量に訪れたときに絶賛したという1700年(元禄13)完成の「対馬国絵図」など貴重なものも収蔵されています。  資料館のそばには、「誠信之交隣」と題した雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)の顕彰碑や「朝鮮国通信使之碑」が建っています。 雨森芳洲顕彰碑 朝鮮国通信使之碑 #10" class="btn basic_btn">若田石硯とは? お問合せ先 体験であい塾「匠」 TEL:0920-56-0118 金田城(かねだじょう)跡  唐(とう)・新羅(しらぎ)の連合軍に滅ぼされた百済(くだら)が救援を求めてきたため、倭国軍(日本)は663年(天智2)、朝鮮半島の白村江(はくそんこう・はくすきのえ)で唐・新羅連合軍と戦いましたが、大敗。倭国は唐や新羅の侵攻に備え、翌年に対馬・壱岐・筑紫に防人(さきもり)と烽(とぶひ)を設置しました。  対馬は国防の最前基地として位置づけられ、百済の亡命貴族や軍人の協力のもと、天険の要塞である城山に金田城が築かれました。東国から派遣された防人は、唐・新羅の侵攻に備えました。壱岐そして筑紫へと危急を知らせる通信施設として、烽が山頂に築かれました。  地元では「かねだじょう」のほか、「じょうやま」「かねたのき」ともよばれています。   少し離れたところからも城山は見えます  金田城の遺構は、東側沿岸に比較的よく残っています。天険を利用して構築された石塁は山を取り囲むように約2.8キロメートルにわたって残り、 高さは低いところで2〜3メートル、谷部では6〜7メートルにも達し、国の特別史跡に指定されています。  北東の谷部には一ノ城戸、二ノ城戸、三ノ城戸とよばれる城門跡があり、門礎石(もんそせき)や水門を確認することができます。 1993年(平成5)からスタートした本格的な発掘調査によって、築城当時の遺構も発見されています。なかでも1999年(平成11)に調査された二ノ城戸においては、 城門跡の遺構がほぼ原型を留めて出土しました。  登山道では景観や植物にも目を向け、対馬ならではの大自然を満喫しましょう。  登山道は旧軍道ともよばれています。日露戦争の頃、頂上に砲台を設置するためにダイナマイトなどで岩を削り、道を整備しました。 最も大きい谷にある三ノ城戸 いまだに機能している水門 門礎と思われる穴があいた岩
  • 第11回 歴史と自然文学の島、大島・崎戸 2010年04月07日
    第11回 歴史と自然文学の島、大島・崎戸
     このコーナーでは、長崎県内の歴史を探っていく旅のドライブルートを紹介しています。  今月の注目エリアは、西海市の『大島・崎戸・松島』です。  2005年(平成17)4月1日に長崎県西彼杵郡(にしそのぎぐん)北部の西彼町・大瀬戸町・西海町・大島町・崎戸町の5町が合併して「西海市」となりました。今月は西海市の「大島」「崎戸」「松島」をピックアップして、歴史と文化と自然を満喫する旅に出ます!  大島・崎戸・松島を知らないという人は、先にどんなところかチェックしておこう。 西海市の位置 大島・崎戸・松島へのアクセス 今回は、崎戸・大島・松島を代表する特産品である伊勢海老、大島トマト、ウニをモチーフにしたキャラクター3人が案内してくれるよ! 今回のドライブルート 大島大橋・大島大橋公園 ↓車で約3分 大釜海水浴場(おおがまかいすいよくじょう) ↓車で約5分 百合岳公園(ゆりだけこうえん) ↓車で約10分 片島(片島に沈む夕日) ↓車で約3分 太田尾教会(おおだおきょうかい) ↓車で約5分 崎戸とんぼ公園 ↓車で約5分 ウォーターデッキステーション ↓車で約1分 浅間神社(あさまじんじゃ) ↓車で約5分 崎戸歴史民俗資料館(さきとれきしみんぞくしりょうかん) ↓車で約1分 33°元気らんど ↓車で約5分 崎戸浦(さきとうら)の合戦跡 ↓車で約3分 ラジウム泉 狸の湯(ホテル咲き都) ↓徒歩で約3分 33度線展望台 スポットの紹介 大島大橋・大島大橋公園 広場奥に新宮晋氏設計の『風の花びら』があります  平成11年11月11日11時11分に開通した大島大橋は、全長1,095mの斜張橋でシルエットが美しいことでも知られています。  公園の駐車場は広く、広場には芝生がしかれ、大島大橋を間近で見ることができる絶好のスポットです。観光案内所などの施設や世界的に有名な彫刻家・新宮晋(しんぐうすすむ) 氏設計の『風の花びら』があり、訪れる人を楽しませています。また夏になると、海辺で遊ぶ家族の姿をよく見かけます。 大島造船所(おおしまぞうせんじょ) 対岸の西海町太田和から見た大島造船所  大島大橋を通過し、寺泊(てらどまり)大橋に差し掛かると、右手に大島造船所が見えます。  大島造船所では、鉱石や石炭、穀物などを梱包せずにそのまま積載して運搬するばら積み貨物船を主に造っています。年間20隻以上を建造しているそうです。 大釜海水浴場(おおがまかいすいよくじょう)  島の南側にあり、小規模ながら遠浅の砂浜です。シャワー室、休憩所などを兼ね備えた海の家があり、家族連れで賑わいます。 百合岳公園(ゆりだけこうえん) 展望台 新宮晋氏設計モニュメント  展望台や野外音楽堂、モニュメント「星のなる木」、キャンプ場、芝生広場、探索路などが整備されています。大島の中で最も高い位置にあり、 展望台からは五島列島や崎戸、松島、西海市の山並みなど素晴らしい景観を一望できます。また桜の名所としても知られています。  展望台近くのうっそうと茂った木々の中を進むと琴平神社があり、荘厳な雰囲気を醸し出しています。 片島(片島に沈む夕日)  大島、崎戸の見晴らしの良いスポットからよく目に入る片島です。角度によって様々な表情を見せてくれます。また大島・崎戸のあちこちで美しい夕陽を見ることができますが、 特に片島の彼方の五島灘に沈む夕陽が素晴らしいと定評があります。ドライブの帰りに立ち寄る人々も少なくありません。 太田尾教会(おおだおきょうかい)  江戸時代のキリスト教禁教による迫害を逃れ、外海地方から移住してきたかつてのかくれキリシタンが1929年(昭和4)に建てたといわれています。 木造平屋の小さな教会で、教会建築特有のコウモリ天井が採用されていますが、柱がないのが太田尾教会の特徴です。他によく見られる教会のコウモリ天井の構造とは異なり、 薄い木の板を幾層も重ねて厚くし、その後で曲線をきれいにカットして上から漆喰で固めるという独特の技巧が用いられています。 崎戸とんぼ公園  全国的にも珍しいベッコウトンボを観察することできる崎戸とんぼ公園です。ベッコウトンボは、環境庁レッドデータリストの絶滅危惧I類に記されており、 「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存法」でも国内希少野生動植物に指定されています。主に4月から5月の初夏に見られ、ベッコウ模様の羽が特徴です。  またこの公園では、アオモンイトトンボ(4月から10月)やコシアキトンボ(6月から9月)、ショウジョウトンボ(5月〜10月)、シオカラトンボ(4月〜10月)、 チョウトンボ(6月〜9月)、ベニイトトンボ(6月〜9月)などを観察することができます。 ウォーターデッキステーション  丸田海岸に、ウッドデッキの散歩道「ウォーターデッキステーション」が突き出ています。幅2メートル、全長260メートルあり、 端を歩いていると海の上を歩いているような感覚!!  最高の散策コースです。潮が引いている時には、デッキから降りて広々とした岩の台地で小さな生物を観察して遊ぶこともできます。 家族連れやカップルに人気のスポットです。 浅間神社(あさまじんじゃ) 御神木  蛎浦(かきのうら)島の端にある浅間神社には、幕末の志士のエピソードが残ります。  1863年(文久3)、大村藩は佐幕派と倒幕派に揺れました。針尾(はりお)九左衛門や藩校五教館(ごこうかん)の先生であった松林飯山(まつばやしはんざん)、 渡辺昇(わたなべのぼり・のぼる)を中心に、倒幕をめざす37名が集まり、“大村三十七士”が結成されました。  1864年(元治元)には、藩主である大村純煕(すみひろ)が、倒幕派の意見を受け入れ、幕府に対して、病気を理由に長崎総奉行を辞任。 そして家老など佐幕派を藩の主要な役職からはずし、倒幕派を役職に就かせました。藩政の中心からはずされた佐幕派と倒幕派の対立は深刻な問題となりました。  1867年(慶応3)に針尾九左衛門と松林飯山が暗殺されるという事件が発生。佐幕派の首謀者は処刑され、大村藩は尊皇攘夷へと藩論を固めました。 この事件を「大村騒動(おおむらそうどう)」や「小路騒動(こうじそうどう)」といいます。  この事件の首謀者のひとりであり、大村藩の剣術指南役一刀流の達人でもあった長井兵庫(ながいひょうご)は死罪となり、その妻子は蛎浦島に流罪となりました。 長井兵庫の子・巌雄は当時7歳でした。  1871年(明治4)の廃藩置県とともに巌雄は赦免され、蛎浦島を去ります。一緒に流罪となっていた母親はすでに蛎浦島で他界していました。  蛎浦島には巌雄に関する逸話が伝わります。あるとき釣りに伴われた際、針の大きさが合わず、魚が釣れませんでした。そこで巌雄は針を火で焼いて小さくし、 翌日は大漁。小さな頃から秀才といわれていました。  蛎浦島を去って十数年後、行方がわからなかった巌雄でしたが、瀬戸で徴兵検査が行われた時に、軍医官として訪れたそうです。少年の頃に暮らしていた崎戸のこと、 蛎浦島の住民たちから親切にされたこともが忘れられなかったといいます。  1936年(昭和11)、77歳の巌雄は、当時の恩に謝し「敬神」と大書きした額をこの浅間神社に寄進しました。この書は西海市の文化財に指定され、 今でも浅間神社に飾られています。 崎戸歴史民俗資料館(さきとれきしみんぞくしりょうかん) 崎戸民俗資料館 山崎和國氏の作品 展望台からの展望  江戸時代は捕鯨、明治・大正・昭和の時代には炭鉱の町として栄えました。捕鯨時代の歴史や道具、炭鉱時代に栄え賑わっていた様子を映すフィルム、 現在の基幹産業である製塩工場の製塩過程、崎戸近海に生息する魚たちのジオラマが展示されています。  また館内には、作家・井上光晴の文学室が設置され、小説原稿や同人誌など貴重な資料が展示されています。 「地の群れ」や「明日」などの作品を遺した彼が少年期を過ごしたのが崎戸なのです。また井上光晴の娘で、 2008年(平成20)に第139回直木賞を受賞した井上荒野(あれの)の作品『切羽(きりは)へ』に関する資料も展示されています。 井上光晴文学室 文学碑 捕鯨の歴史 1988年(昭和63)4月に長崎近海で捕獲されたミンククジラ 江島の鯨唄が聴けます  1631年(寛永8)に深澤儀太夫勝清が捕鯨を開始したことによって、崎戸の島々の生活が変わり始めました。 崎戸、蛎浦、江島、平島と各島々に捕鯨の拠点が置かれ、島の人々は鯨組と一緒になって働きました。1861年(文久元)に江島捕鯨が廃絶するまで約230年にわたって行われました。 崎戸炭鉱  1906年(明治39)の石炭採掘開始から1968年(昭和43)の閉山までの歴史を紹介しています。 1931年(昭和6)には全国の炭鉱のうち6番目の出炭量だったと記録されています。最盛期の人口は25,000人を超え、8,000人の労働者がはたらき、 住居などもひしめき合う活気あふれる町でした。小さな島でありながら、映画館や遊園地、ビリヤード場、玉屋、いくつもの商店街があったそうです。 入館料:無料 休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)、年末年始 問合せ:TEL:0959-37-0257 33°元気らんど  「33°元気らんど」は1999年(平成11)にオープンしました。イベントなどにも活用されており、おもしろ自転車やソリなどの遊具施設もあります。 休日は家族連れで賑わいます。ここは、もともと炭鉱時代にたくさんの社宅が建ち並んでいた場所であり、 周囲には赤煉瓦の建物や昭和小学校跡など当時の面影を残す建物があります。 崎戸浦(さきとうら)の合戦跡  1569年(永禄12)、宮村(元佐世保市)にいた大村三河守純種(すみたね)が、領主・大村純忠(すみただ)に反乱を起こすという事件が起こりました。 大村純忠の軍は、後藤貴明(ごとうたかあきら・たかあき)や松浦鎮信からの援軍を得た純種軍に敗れ、小佐々弾正純俊(すみとし)は、葛峠(くずとうげ)の戦いで戦死しました。  この機に乗じて松浦氏は、翌年兵船2隻で崎戸の浦に攻め寄せました。大島町東部黒瀬から呼子ノ瀬戸に入る航路は古くから船の交通量が多かったことから、 この海域をめぐって松浦氏と大村氏は以前から対立していたといわれています。1年前の葛峠の戦いで父を亡くした小佐々弾正純正は、弱冠18歳でしたが、松浦氏の軍を迎え撃ち、 この地を守りました。この戦いを崎戸浦の合戦とよんでいます。 ラジウム泉 狸の湯(ホテル咲き都)  そのまま丘の上の風車を目指して進んでいくと、「ホテル咲き都」があります。  このホテルには「ラジウム泉 狸の湯」という温泉施設があり、この浴場からは五島灘を一望でき、リラクゼーションを求めて訪れる人々も多いそうです。 リュウマチや神経痛、痔、冷え性、疲労回復、うちみ、湿疹、肩こり、腰痛などに効果があります。  ホテルでは、基幹産業である製塩工場の製品をはじめ、崎戸の方言入りオリジナルTシャツや狸の絵で有名な長崎県の画家・堤けんじ氏の作品の各種グッズ、 地元の伊勢海老の加工品「伊勢えびチップ」、みそ汁の粉末など豊富な品々がそろっています。  1950年(昭和25)頃に、アメリカ軍から直接レシピをきいたことから始まった佐世保バーガーや、高級将校の家族がパーティやハイキングのお弁当として作って食べていたというプチバーガーもあります。 ラジウム泉 狸の湯(ホテル咲き都) 問合せ:0959-35-2050 33度線展望台 展望台 展望台からの夕景 聴音所跡  崎戸島の最西端にある展望台で、天気が良いときには五島列島や平戸島が浮かんで見えます。ここから眺める夕陽は美しく、 撮影に訪れるアマチュアカメラマンも少なくありません。この展望台は北緯33度線に位置し、遠くはカサブランカ、バグダッドに通じています。  展望台の隣にあるのは、旧日本海軍佐世保鎮守府の特設見張り所の聴音所として1938年(昭和3)に建築されたものです。 終戦まで海底のスクリュー音等をキャッチしていたといいます。 さきと伊勢海老祭り  毎年8月下旬から9月末にかけて、「さきと伊勢海老祭り」が行われています。  崎戸沖の荒波に育まれた美味しい天然の伊勢海老が格安で販売されたり、飲食店や宿泊施設で期間限定の伊勢海老特別メニューが味わえます。 また、魚のつかみ取りや格安での伊勢海老味噌汁の提供など、イベントも開催されます。 さいかい丼フェア  いまや定番となった「さいかい丼フェア」。大好評につき第7回目を迎えました。西海市の食材にこだわったどんぶり料理が味わえます。 郷土料理の小鉢も付いてボリューム満点でお得です。旅やドライブで西海市を訪れたなら、ぜひ“西海市の食”を満喫してください。  第7弾さいかい丼フェアは、2010年4月30日までです! 取材協力 西海市役所 水産商工観光課 ホテル咲き都 太田尾教会 参考資料 『大村史話 上巻』(木下義春編著/大村史談会発行) 『大島町郷土誌』 『佐世保市宮地区 歴史散歩』(中島雄俊著)
  • 第10回 壱岐の風景と元寇ゆかりの地を訪ねる 2010年03月10日
    第10回 壱岐の風景と元寇ゆかりの地を訪ねる
     このコーナーでは、長崎県内の歴史を探っていく旅のドライブルートを紹介しています。  今月の注目エリアは、6月にご紹介した『壱岐』の続編です。いよいよ2010年(平成22年)3月14日、歴史の島・壱岐に「壱岐市立一支国博物館・長崎県埋蔵文化財センター」がオープン!「魏志倭人伝」の世界の再現や復元された古代船、遺跡発掘の体験など子どもから大人まで楽しく学べる博物館です。新しい博物館をめあてに、6月に続いてまたまた、壱岐の旅へ出かけることにしました。旅の必携アイテムは『旅する長崎学11』です。  壱岐がはじめてという人は、先にどんなところかチェックしておこう。 壱岐の位置 壱岐をドライブする 今回のドライブルート 1日目 壱岐空港 ↓車で約10分 長崎県埋蔵文化財センター・壱岐市立一支 国博物館(ながさきけんまいぞうぶんかざい せんたー・いきしりついきこくはくぶつかん) ↓車で約3分 原の辻遺跡復元施設(はるのつじふくげん しせつ) ↓車で約25分 はらほげ地蔵 ↓車で約2分 左京鼻(さきょうばな) ↓車で約15分 少弐(しょうに)公園・弘安の役(こうあん のえき)跡 ↓車で約25分 男岳神社(おんだけじんじゃ)の石猿群 ↓車で約20分 新城千人塚・文永の役跡(しんじょうせんに んづか・ぶんえいのえきあと) ↓車で約20分 河合曽良(かわいそら)の墓 ↓徒歩で約3分 城山公園(じょうやまこうえん) ↓車で約3分 湯ノ本温泉(ゆのもとおんせん) ↓車で約15分 2日目 黒崎砲台跡(くろさきほうだいあと) ↓徒歩で3分 猿岩(さるいわ) ↓車で約3分 春一番の塔(はるいちばんのとう) ↓車で約3分 岳の辻展望台(たけのつじてんぼうだい) ↓車で約3分 松永記念館(まつながきねんかん) スポットの紹介 1日目 壱岐空港  今回も、「海都くん」が案内してくれるよ! 長崎県埋蔵文化財センター・壱岐市立一支国博物館 ながさきけんまいぞうぶんかざいせんたー・いきしりついきこくはくぶつかん)  今から約2100年前、「一支国(いきこく)」は、大陸と日本の架け橋として大きな役割を担っていました。大陸の最先端の技術や文化は、 対馬、壱岐をとおって、北部九州の国々へ、そして邪馬台国(やまたいこく)へと運ばれました。一支国は“海上の貿易センター”として、 弥生時代に繁栄した王国です。  壱岐島の歴史や数々の遺物を紹介する「壱岐市立一支国博物館・長崎県埋蔵文化財センター」が、2010年(平成22)3月14日にグランドオープン。 この博物館は新感覚のミュージアムで、単なる展示にとどまらず、グラフィック映像やタッチパネル検察、模擬発掘体験、見える収蔵庫、 出土品の整理作業を見学できる通路など、楽しくわかりやすく歴史を学びながら身近に体感できる施設です。もちろん、壱岐島のお宝である指定文化財や、 壱岐ならではの“日本初”や“日本最古”“日本唯一”の遺物なども展示され、見どころもいっぱいです。 原の辻遺跡復元施設(はるのつじふくげんしせつ)  中国の歴史書『三国志』の一節に、倭の国について2008文字で記された『魏志倭人伝』の中に一支国が登場します。うち一支国に関する情報は57文字で、「水田を耕しても食料が足らず、南や北と交易して暮らしている」と記されています。1995年(平成7)には、一支国の中心であった海の王都が「原の辻」であるということが特定されました。現在、国の特別史跡に指定されています。  ここでは、王以外は入室できない神聖な主祭殿(しゅさいでん)や、王が儀式の前に身を清めたといわれる「平屋脇殿(ひらやわきでん)」など数々の建物が復元されています。 はらほげ地蔵  6人のお地蔵さまが並んで海に浸かっています。よく見ると、胸に直径4センチほどの穴があいたお地蔵さまがいます。そのため地元の人々のあいだで、「はらほげ地蔵」と呼ばれています。  干潮時には、人工の埋め立て地面に降りて拝むことができますが、満潮時には、お地蔵さまが胸まで海中に浸かってしまうので、現在では祀り場が設置されています。  いつ、誰が、何のために、このお地蔵さまたちを祀ったのか定かではありません。この辺りは以前から海女の集落があることから、海難逃れや海難者の冥福祈願のために地蔵の胸の部分に穴をあけ、 供物をそこに上げたのではないかと伝えられています。また以前、鯨の納屋があって鯨が捕獲されていたため、鯨鯢供養(げいじくよう)として建立したのではないかともいわれています。 左京鼻(さきょうばな)  八幡半島の突端にある「左京鼻」は景勝地として知られています。  この岬周辺は昔から海産物が多く獲れるところで、海女たちがウニやアワビなどの漁を盛んにおこなっています。  この左京鼻の名前の由来については、江戸時代の初期に大旱魃(だいかんばつ)に襲われ、人々が苦しんでいたときに、 陰陽師の後藤左京と龍造寺五世日峰和尚(にっぽうおしょう)の二人が身命を賭けて雨乞いをしてくれたことからついたといわれています。 しかし、もっと遡ると、「石橋の端(しゃきょうのはし)」「石橋の鼻」と呼ばれていたという記録もあります。 「石橋の端(鼻)」とは“突端の断崖”という意味があるそうです。「しゃきょう」という読み方は、「神変佛力にあらずばたれかこの橋を渡るべき」 という昔の中国の故事にある石橋(しゃきょう)を、この断崖に見たてて名付けられたと思われます。 神様が生んだ「生き島(壱岐島)」を繋いだ8本の柱岩の1本とも伝えられています。  1973年(昭和48)にNHK主催の「ふるさとの歌まつり」でこの左京鼻が全国放送され、観光地として島外に知られるようになりました。 少弐(しょうに)公園・弘安の役(こうあんのえき)跡  壱岐は対馬と同様に、文永の役・弘安の役では蒙古軍の襲来を受けました。蒙古軍の侵攻によって島内は戦場と化し、今でも多くの伝承地が残っています。  現在少弐公園として整備されたこの地は、1282年(弘安4)に対馬、壱岐と侵攻した蒙古軍(東路軍)が一時撤退し体制を整えていた場所でした。 博多湾に押し寄せた際に日本軍の反撃に遭って損害を受けたので、遅れてやって来る江南軍と合流するための本拠地として壱岐の瀬戸浦を利用したのです。  江南軍と合流し一気に博多に侵攻する作戦を知った日本軍は、壱岐に撤退した蒙古軍を追撃します。壱岐を防衛するための守護代に任命された少弐資時 (しょうにすけとき、少弐経資(つねすけ)の子)は、瀬戸浦の船匿(ふなかくし)城を本拠地とし、部下を率いて蒙古軍と激戦を展開しました。 しかし、少弐資時は19歳の若さで討ち死にし、船匿城で全滅したといわれています。  丘の上には少弐資時の墓が建てられ、現在はキャンプができるよう炊事棟や遊歩道が整備されています。 展望台の近くには、663年(天智2)の白村江(はくそんこう・はくすきのえ)の戦いで日本軍が新羅・唐の連合軍に敗戦した後に、 国防のために設置された狼煙台(のろしだい)も残っています。 男岳神社(おんだけじんじゃ)の石猿群  男岳は、五百鳩(いおつり)山とも磯山ともよばれる標高156メートルの山。それでも壱岐の中では岳の辻(たけのつじ)に次いで二番目に高い山です。 男岳には昔から山一面に高木が繁茂し、霧が深くかかり荘厳な雰囲気を醸し出しています。  うっそうと繁った社叢には、まずユーモラスな石猿たちが顔を出して迎えています。この神社の祭神が猿田彦命(さるたひこのみこと)であることから、 境内には願成就のために石猿が奉納されています。ここに奉納されている230余体の石猿の表情はそれぞれ異なり、とっくりを提げたものや、 “見ざる、言わざる、聞かざる”の表現をしたもの、笑い、とぼけ、すましたものなど実にさまざまな石猿たちに出会うことができます。  山頂からは壱岐全島が見渡せ、ユーモラスな石猿たちとともに、多くの参拝者の目を楽しませています。 #16" class="btn basic_btn">松永安左ヱ門とは? 松永記念館・石田町ふるさと資料館  入館料     大人:100円 中学生以下:50円 団体(15人以上):2割引き  開館時間   午前9時〜午後5時  休館日   火曜日午後及び水曜日・年末年始 参考資料 『旅する長崎学11 海の道I壱岐 邪馬台国への道』(企画/長崎県 制作/長崎文献社) 『芦辺町史』(芦辺町史編集委員会/芦部町発行) 『勝本浦郷土史』(川谷幸太郎著) 『長崎県文化百選 壱岐対馬編』(長崎県) 『まるごと壱岐事典』(壱岐市産業経済部観光商工課) 取材協力 壱岐市観光協会 旅館 千石荘
  • 第9回 龍馬が駆け抜けた長崎 その1 2010年02月03日
    第9回 龍馬が駆け抜けた長崎 その1
     このコーナーでは、長崎県内の歴史を探っていく旅のドライブルートを紹介しています。  今回は、坂本龍馬ゆかりの地の特集です!好評放送中の『龍馬伝』でますます注目度アップの坂本龍馬。 激動の幕末を生きた龍馬の夢は、長崎抜きには語れません。今回は、彼が残した足跡をたどりながら、幕末長崎の面影を訪ねます。 長崎市の紹介 交通アクセス 臨時駐車場のご案内 今回、一緒に旅をしてくれるのは、「ながさき龍馬くん」です! 長崎県のPRのため、全国各地を駆けめぐっている人気者です。 今回のドライブルート 長崎歴史文化博物館(ながさきれきしぶんかはくぶつかん)・長崎奉行所立山役所跡(ながさきぶぎょうしょたてやまやくしょあと) ↓歩いて約5分 迎陽亭(こうようてい) ↓歩いて約1分 聖福寺(しょうふくじ) ↓歩いて約3分 福済寺(ふくさいじ) →長崎駅まで歩いて約15分 風頭公園(かざがしらこうえん) ↓歩いて約5分 亀山焼窯跡(かめやまやきかまあと) ↓歩いて約3分 若宮稲荷神社(わかみやいなりじんじゃ) ↓歩いて約1分 亀山社中資料展示場(かめやましゃちゅうしりょうてんじじょう) ↓歩いて約1分 龍馬のぶーつ像 ↓歩いて約1分 長崎市亀山社中記念館(ながさきしかめやましゃちゅうきねんかん) ↓歩いて約8分 玉川亭跡 ↓歩いて約3分 上野撮影局跡 スポットの紹介 長崎歴史文化博物館(ながさきれきしぶんかはくぶつかん)・長崎奉行所立山役所跡(ながさきぶぎょうしょたてやまやくしょあと)  鎖国政策をとった徳川幕府の時代も唯一西洋に開かれた門戸として、海外文化の受け入れに重要な役割を果たしてきた貿易都市・長崎。 長崎歴史文化博物館は、約400年にわたる長崎貿易に関する貴重な資料を収蔵し、オランダ・中国・朝鮮などとの海外交流を知ることができる博物館です。  館内には、歴史文化展示ゾーン、長崎奉行所ゾーン、企画展示室のほか、長崎歴史情報コーナー、伝統工芸体験工房、資料閲覧室、ミュージアムショップ、レストランがあります。  この地は、かつて長崎奉行所立山役所があった場所。発掘調査で発見された当時の遺構の一部も活かして奉行所が復元され、博物館に併設されています。 タイムリーな見どころは、大河ドラマ『龍馬伝』の放送に合わせて、この長崎奉行所復元部分にオープンした「長崎奉行所・龍馬伝館」です。 龍馬の人物像やドラマを紹介する展示館は、ドラマの展開に沿って途中展示替えもおこない、2011年1月10日までの期間限定。開館当初から龍馬ファン、 大河ドラマファン、福山雅治さんのファンなど多くの方々が訪れています。 " class="btn basic_btn">動画を見る 若宮稲荷神社(わかみやいなりじんじゃ)  南北朝時代に天皇に仕えた楠木正成(くすのきまさしげ)公の守護神「若宮稲荷五社大明神」が祀ってあります。亀山社中の隊士もよく参拝していたといわれており、 地元では「勤王神社」や「勤王稲荷」とも呼ばれていたそうです。  2009年(平成21)7月には、亀山社中跡にあった高さ1メートルの龍馬の銅像が若松神社の境内へ移設されています。この神社では、オリジナル龍馬御守や祈願絵馬、 開運絵馬などが販売されています。  毎年10月14日、15日に行われる例大祭で奉納される「竹ん芸(たけんげい)」は見ごたえがあります。しなる竹の上で、子狐、男狐、女狐に扮した人が芸を披露する、 伝統的なお祭りです。  若宮稲荷神社参道を下りたところで、右に振り向くと藤屋跡があります。私有地のため無断で敷地内に入ることはできませんが、 龍馬が土佐藩士・佐々木高行(ささきたかゆき)とたびたび訪れていたという西洋料理店「藤屋」があったところです。  「藤屋」は、1830年(天保元)に日本料理店として創業しましたが、1865年(慶応元)から西洋料理を手掛けたといわれています。 「福屋」や「自由亭」と並んで幕末の西洋料理店として知られています。 亀山社中資料展示場(かめやましゃちゅうしりょうてんじじょう)  「亀山社中ば活かす会」が、平成元年から亀山社中跡(現長崎市亀山社中記念館)にて、坂本龍馬をはじめ幕末の志士や長崎の風景の古写真など一般公開していたものを、 平成18年4月以降は亀山社中跡から徒歩2分ほどのところに「亀山社中資料展示場」を開館し、展示しています。  展示場の建物はもともと民家であるため、アットホームな空間です。龍馬に関してのいろんな話を聞けたり、室内の撮影もできますので、 全国の歴史ファンや坂本龍馬ファンにもたいへん好評となっています。 入館料 無料   電話番号  095-828-1454 開館時間 毎週土日、祝日の午前10:00〜12:00、13:00〜15:00 ※平成22年1月4日〜平成22年12月28日は無休(10:00〜17:00) 龍馬のぶーつ像  亀山社中創設から130年を記念し、1995年(平成7)、歴史ファンや長崎の街を愛する市民の会「亀山社中ば活かす会」が建立しました。  航輪(だりん)と大きなブーツがあります。  実際に足を入れ、舵輪を握って龍馬の気持ちになって記念写真を撮ろう!ここから見渡せる長崎の街並みを一望しながら、 龍馬の気持ちにひたってみてはいかがでしょうか。 長崎市亀山社中記念館(ながさきしかめやましゃちゅうきねんかん)  1865年(慶応元)、幕府機関である神戸海軍操練所が解散すると、龍馬が中心となって薩摩藩の資金援助を受け、 この地に社中を結成しました。これが日本初の商社といわれ、拠点とした地名“亀山”と、仲間・結社を意味する“社中”をあわせて、「亀山社中」と呼ばれたといわれています。  亀山社中には、神戸海軍操練所の出身者が多く、航海技術を生かして武器などを含む物資の運搬や貿易の仲介をおこないました。1866年(慶応2)には、 対幕府軍との下関海戦に参加し、長州藩の勝利に貢献しました。当時、反幕府の立場にあった長州藩に対し、薩摩藩名義で武器や艦船の購入を斡旋するなど、 薩長同盟へとつながる大きな役割を果たしたのです。  「長崎市亀山社中記念館」は、亀山社中の遺構として現在に伝わる建物を所有されている方のご厚意により、長崎市が当時の姿により近いかたちで復元・整備し、 2009年(平成21)8月1日に開館しました。隠れ部屋などもあり、館内には龍馬にまつわる資料などが展示されています。 当時流行していた中国伝来の楽器“月琴(げっきん)”も必見です。ぜひ音色を聴いてみたいという方は、受付へ申し出ると演奏してもらえます。 その場で弾き方を教えてもらい、月琴演奏を体験することもできますよ。 入館料   一般 個人300円 団体240円   高校生 個人200円 団体160円   小・中学校  個人150円 団体120円   電話番号 : 095-823-3400   開館時間 : 9:00〜17:00   休館日 : なし   ※専用駐車場はありません 玉川亭跡  目の前に中島川が流れる料亭「玉川亭」は川魚料理で有名だったそうです。1867年(慶応3)、龍馬の斡旋によって佐々木高行と長州藩士・桂小五郎、 伊藤俊輔が面会した場所として知られています。 上野撮影局跡  中島川を渡ってそのまま川沿いに歩いて行き、長崎聖堂跡を通り過ぎたところに、日本初の商業写真館・上野撮影局の跡があります。 彦馬の父である俊之丞は、この地に別荘を構え、薬品や中島更紗などをつくっていたそうです。  彦馬は、オランダ人医師のポンペに舎密学(せいみがく・化学)を学び、それをきっかけに写真に興味をもつようになりました。 堀江鍬次郎(ほりえくわじろう)とともに写真術を研究し、1858年(安政5)、二人の共同による手製写真機で撮影に成功しました。 このときのモデルは幕府医官の松本良順で、白粉をあつくぬり、5分ほど直立不動の姿勢をとったといいます。当時、写真術に使う薬液も自分で作らなければならず、 もともと化学者であった彦馬にして可能なことだったといえます。  1862年(文久2)、彦馬はこの地に上野撮影局を開設しました。また彦馬は、西南戦争を写真報道したことでも知られています。 参考資料 『長崎旅本 慶応幕末「旅する長崎学講座」公式テキスト』(長崎県 文化振興課) 「郷土史事典」(長崎県/石田 保著昌平社出版) 取材協力 長崎歴史文化博物館 長崎市亀山社中記念館 亀山社中資料展示場
  • 第8回 歴史と自然を満喫する平戸・松浦路 2010年01月06日
    第8回 歴史と自然を満喫する平戸・松浦路
     このコーナーでは、長崎県内の歴史を探っていく旅のドライブルートを紹介しています。  今月の注目エリアは『平戸・松浦』。平戸はかつて、「西の都フィランド」と呼ばれ、ポルトガルやスペイン、オランダ、イギリスなどヨーロッパの国々や中国と貿易をおこなった国際色あふれる港町でした。まずは、平戸・松浦の位置をチェックしておこう!   平戸・松浦の位置と歴史  平戸・松浦へのアクセス 今回、一緒に旅をしてくれるのは、 この「旅する長崎学サイト」オリジナルのキャラクターたちです。 平戸・松浦の自然や名物など、いろんなことを教えてくれるよ! さぁ、早速スタート地点の平戸市田平町へLet's GO!! 今回のドライブルート 1日目 道の駅「昆虫の里たびら」(みちのえき「こんちゅうのさとたびら」) ↓車で約5分 たびら昆虫自然園(たびらこんちゅうしぜんえん) ↓車で約30分 平戸大橋(ひらどおおはし) ↓車で約25分 鄭成功居宅跡(ていせいこうきょたくあと) ↓車で約25分 平戸切支丹資料館(ひらどきりしたんしりょうかん) ↓車で約1分 根獅子の浜海水浴場(ねしこのはまかいすいよくじょう) ↓車で約10分 生月大橋(いきつきおおはし)・道の駅「生月大橋」(みちのえき「いきつきおおはし」)・中江ノ島(なかえのしま) ↓車で約1分 平戸市生月町博物館 島の館(ひらどしいきつきちょうはくぶつかん しまのやかた) ↓車で約15分 塩俵の断崖(しおだわらのだんがい) ↓車で約5分 大バエ灯台(おおばえとうだい) ↓車で約40分 平戸城周辺へ 2日目 平戸城下町(ひらどじょうかまち) ↓車で約15分 焼罪史跡公園(やいざしせきこうえん) ↓車で約5分 日本最西端の駅「たびら平戸口駅」(にほんさいせいたんのえき「たびらひらどぐちえき」)・松浦鉄道(まつうらてつどう) ↓車で約10分 大崎海水浴場(おおさきかいすいよくじょう) ↓車で約10分 道の駅「松浦海のふるさと館」(みちのえき「まつうらうみのふるさとかん」) ↓車で約10分 不老山総合公園(ふろうさんそうごうこうえん) ↓車で約15分 調川道路公園(つきのかわどうろこうえん) ↓車で約10分 梶谷城跡(かじやじょうあと) スポットの紹介 1日目 道の駅「昆虫の里たびら」(みちのえき「こんちゅうのさとたびら」)    佐世保から平戸方面へと向かう国道204号を北に走っていると、右手に大きなカブトムシのモニュメントが見えてきます。ここが道の駅「昆虫の里たびら」です。長崎県の県北地域の特産品や農産物がそろっていて、ドライブ途中のお立ち寄りスポットとして人気があります。平戸市と松浦市の観光パンフレットやイベントのチラシなども置いてあるので、情報入手のためにも立ち寄るのもいいですよ。 県立北松農業高校の生徒さん手づくりの“ざぼんジャム”と“にくみそ”。 特に4月下旬頃に出荷される“イチゴジャム”は大人気で、売り切れてしまうことも。 独自の製法で蒸し上げる“川内蒲鉾”。一度食べるとやみつきになるようで、ファンが多い人気商品です。 とれたての新鮮な野菜やお弁当も販売されています。 たびら昆虫自然園(たびらこんちゅうしぜんえん)    たびら昆虫自然園は、畑、小川、池、雑木林、草原などの里山の環境を再現し、そこに集まる昆虫たちを自然のままに観察できる施設。田平町にもともと住んでいる昆虫のうち、3,000種類以上が生息しているといいます。  ここでは、園の解説員の方々が、自然の中を解説しながら案内してくれます。1時間程度で30〜60種類ほどの昆虫を観察することができるそうです。虫たちがどんな特徴をもち、どんな生活をしているのか。そして自然の中でどんな役割を持っているのかなど、詳しく知ることができます。 #08" class="btn basic_btn">島の館に入ってみる ◎入館料 【個人】  大人500円、高校生300円、小中学生200円 【団体】  15名以上450円、高校生270円、小中学生180円      50名以上400円、高校生240円、小中学生160円      100名以上300円、高校生180円、小中学生120円 【身障者(個人・団体)】  大人250円、高校生150円、小中学生100円 【年間パスポート】  大人1,000円、高校生600円、小中学生400円 ◎開館時間 9:00〜17:00(最終受付16:30) ◎休館日 正月(1月1日、2日)特別休館有 ※ご予約により博物館内、生月島内をご案内いたします。 ※島内案内のみ有料 塩俵の断崖(しおだわらのだんがい)  柱がいくつも立っているような奇岩。南北に500メートル、高さ約20メートルという圧巻の光景。火山の溶岩と玄海の荒波が刻んだ壮大な彫刻ともいえます。 大バエ灯台(おおばえとうだい)    80メートルほど切り立つ大バエ断崖の上に立つ白亜の無人灯台です。展望所も設置されており視界いっぱいに水平線が広がる大パノラマが広がります。 ●平戸のグルメ  平戸では肉も魚も堪能できます。霜降りで柔らかく甘みのある長崎和牛、海のエキスたっぷりの牡蠣、獲れたての天然ひらめなど、とっても豪華です。  魚の中でも高級魚として知られるひらめ。平戸は日本でも有数の漁獲高を誇り、獲れたての天然ものを味わうことができます。また旬の時期を迎える1月から4月までは、「平戸ひらめまつり」が開催され、宿泊施設ではひらめ料理と宿泊がセットになったプランが毎年好評です。2010年は、1月15日から4月4日まで開催されます。天然のひらめを贅沢に味わってみてください。    さらに、平戸市補助金が入って「2泊3日で8,000円〜」と、ご予算に合わせたお得なキャンペーンも実施されます。(2010年1月12日〜3月14日)  詳しくは、平戸観光協会のウェブサイトをご覧ください。 2日目 平戸城下町(ひらどじょうかまち) 焼罪史跡公園(やいざしせきこうえん)  1622年(元和8)、キリスト禁教令の下で布教活動・救済事業をおこなったイタリア人宣教師・カミロ・コスタンツォ神父が、宇久島で捕らえられました。そして田平のこの地で火刑に処され、50歳の生涯を閉じました。カミロ神父は、自分の命を神に捧げることを喜び、「すべての民よ、神をほめたたえよ」と歌い、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな・・・」と5回祈って、帰天したといわれています。  殉教の時代を今に伝えるため、1990年(平成2)、平戸瀬戸を望む小高い丘に「殉教の碑」が建てられました。 日本最西端の駅「たびら平戸口駅」(にほんさいせいたんのえき「たびらひらどぐちえき」)・松浦鉄道(まつうらてつどう)  東経129度35分、北緯33度21分にあるこの駅は、日本最西端の駅・たびら平戸口駅です。この駅では、「日本最西端の駅訪問証明書」を発行(200円/平成21年12月現在)してくれるので、旅の記念やお土産として人気です。あわせて、「たびら平戸口駅」入場券(160円/平成21年12月現在)も一緒に買っていくマニアな人も少なくありません。 日本最西端の駅訪問証明書 駅名が入ったストラップ ●松浦鉄道  1918年(大正7)、世知原(現佐世保市世知原町)の政治家・中倉万次郎らが発起人となり、石炭の運搬賃を主な収入源とする佐世保軽便鉄道会社を設立しました。1931年(昭和6)までに佐世保から佐々までを開通させ、翌年には松浦炭鉱鉄道を買収して吉井(現佐世保市吉井町)まで路線を伸ばしました。その後、1936年(昭和11)に国鉄が全線を買収。線路幅を軽便時代の76センチメートルから102センチメートルに広げ、1944年(昭和19)には伊万里線と連結し、1988年(昭和63)に現在の松浦鉄道(愛称MR)となりました。 大崎海水浴場(おおさきかいすいよくじょう)  御厨町(みくりやちょう)にある白い砂浜の海岸線が約150メートルも続く遠浅の大崎海水浴場です。  ロケーションが良く、ウィンドサーフィンやキャンプのスポットとしても人気です。ゴールデンウィークあたりから夏の終わりまで、家族連れや恋人同士、友達グループで賑わいます。 道の駅「松浦海のふるさと館」(みちのえき「まつうらうみのふるさとかん」)    松浦で水揚げされた鮮魚や地元の水産加工品、農産物、お土産などを販売している「道の駅 松浦海のふるさと館」です。ここでは松浦市内だけでなく、長崎県内の特産品も揃っているので、お土産を買うのにも便利です。  また、松浦には、主に遠洋まき網漁業の水揚げ基地として整備された魚市場があり、特にアジとサバは日本有数の水揚げを誇ります。だからお魚も新鮮です。 不老山総合公園(ふろうさんそうごうこうえん)    日本各地に残る「徐福伝説」の一舞台といわれ、弥生時代に秦の始皇帝の命を受けた徐福が“不老不死の薬”を求めて訪れたことから、「不老山」という名前がついたといわれています。  標高288メートルの山頂からは、伊万里湾や緑豊かな松浦市の山並みなど360度の展望を楽しめます。春には11万本のツツジが咲き乱れ、県内外から多くの人が訪れて賑わいます。 調川道路公園(つきのかわどうろこうえん)    中世に活躍した「松浦党(まつらとう)」をモチーフにしたモニュメントは、記念撮影にバッチリのスポットです。松浦党は、源平の合戦にも参戦し、元軍が攻めてきた元寇(文永の役・弘安の役)のときには、目の前の湾内に集結した元軍の軍船に奇襲戦法などで応戦しました。郷土の歴史ロマンと先達者の活躍をたたえて、設置されました。 梶谷城跡(かじやじょうあと)    松浦党の祖・源久(みなもとのひさし)が宇野御厨検校(うのみくりやけんぎょう)として1095年(嘉保2)に今福に下向しました。梶谷城は、翌年の1096年(永長元)に築城の縄張りを始めたといわれています。※源久の出自、築城の年代等については諸説あります。  この城山の頂から望む景観は雄大で、北は伊万里湾の福島からさらに遠くは壱岐・対馬を望み、西には志佐(しさ)・田平、平戸島、そして遠く五島列島へとひらけています。天気のいい日にぜひとも訪れたいスポットです。 参考資料 『旅する長崎学3 キリシタン文化III』(企画/長崎県 制作/長崎文献社) 『旅する長崎学10 近代化ものがたりIV』(企画/長崎県 制作/長崎文献社) 『史都平戸 -年表と史談-』(財団法人松浦史料博物館) 『松浦の史跡 -伝承と文化財-』(松浦史談会) 取材協力 社団法人 平戸観光協会 松浦市教育委員会 生涯学習課 文化財室) 道の駅「昆虫の里たびら」 たびら昆虫自然園 平戸切支丹資料館 道の駅「生月大橋」 生月町博物館 島の館 道の駅「松浦海のふるさと館」
  • 第7回 海岸線を行く福江島の旅 2009年12月02日
    第7回 海岸線を行く福江島の旅
     このコーナーでは、長崎県内の歴史を探っていく旅のドライブルートを紹介しています。  今月の注目エリアは『下五島』。五島は長崎県西部に浮かぶ列島で、南から福江島、久賀島、奈留島、若松島、中通島の5つの大きな島を中心に約140の島々から成っています。大きくいうと、福江島、久賀島、奈留島を『下五島』、若松島、中通島を『上五島』とよんでいます。大海原に浮かぶ島々は、素晴らしい自然に恵まれた歴史が息づくところで、とても魅力的! 今回は、『下五島』を旅します。まずは位置とアクセスをチェックしよう! 下五島の紹介 下五島へのアクセス 今回、タビーナと一緒に旅をしてくれるのは、この「旅する長崎学サイト」オリジナルのキャラクターたちです。 さあ、みんな揃ったところで出発! 今回は、福江島の海岸線沿いをぐるりと一周しながら、自然と歴史を満喫する旅に出かけます。 スタート地点は、福江島の海の玄関口、福江港です。 今回のドライブルート 1日目 石田城跡(いしだじょうあと)・五島観光歴史資料館(ごとうかんこうれきししりょうかん)・五島邸心字ヶ池(ごとうていしんじがいけ) ↓車で約15分 鐙瀬熔岩海岸(あぶんぜようがんかいがん) ↓車で約10分 珊瑚資料館(さんごしりょうかん) ↓車で約30分 白鳥神社(しらとりじんじゃ) ↓車で約20分 大瀬崎断崖(おおせざきだんがい) ↓車で約30分 高浜海水浴場(たかはまかいすいよくじょう) ↓車で約20分 空海記念碑「辞本涯(じほんがい)」・柏崎公園(かしわざきこうえん)・ふぜん河・岩獄神社・高崎鼻公園(たかさきばなこうえん)・道の駅遣唐使ふるさと館・白良ヶ浜万葉公園 ↓車で約10分 魚津ヶ崎公園(ぎょうがさきこうえん) ↓車で約8分 2日目 水ノ浦教会(みずのうらきょうかい) ↓車で約5分 楠原教会(くすはらきょうかい) ↓車で約25分 堂崎天主堂(どうざきてんしゅどう) ↓車で約25分 明人堂(みんじんどう)・六角井戸(ろっかくいど) ↓車で約15分 福江武家屋敷通りふるさと館(ふくえぶけやしきどおりふるさとかん) ↓(福江港へ) スポットの紹介 1日目 石田城跡(いしだじょうあと)・五島観光歴史資料館(ごとうかんこうれきししりょう かん)・五島邸心字ヶ池(ごとうていしんじがいけ)  石高1万2600石の五島藩主の居城跡で、福江城ともいいます。江戸幕府下における最後の築城として知られます。  宇久盛定(うくもりさだ)が築いた「江川城」が、五島藩第2代藩主の五島盛利(もりとし)の時に焼失し、盛利は石田の浜に仮の陣屋を築きます。この石田陣屋は、唐津城主寺沢広高(てらざわ ひろたか)の設計により、1638年(寛永15)に完成しました。  その後、異国船の往来が頻繁になり、海防上の必要性から石田陣屋の改築が建議され、第8代藩主の盛運(もりゆき)、第9代盛繁(もりしげ)、第10代盛成(もりあきら)と続いて築城を幕府に願い出ました。築城の許可がおりたのは、1849年(嘉永2)のこと。15年の歳月をかけ、1863年(文久3)、第11代盛徳(もりのり)の時に完成しました。 城山神社 五島高等学校校門 五島観光歴史資料館  しかしながら、日本はその後すぐ明治維新を迎え、石田城(福江城)はわずか築城9年にして解体されてしまいます。現在は、本丸跡に県立五島高等学校、二の丸跡には五島家の祖を祭る城山神社をはじめ、文化会館、五島観光歴史資料館、市立図書館が建ち並んでいます。  五島観光歴史資料館は、旧福江市の市施行35周年を記念して建設され、1989年(平成元)に開館しました。お城を模した外観で、貴重な民俗資料や歴史資料などを展示しています。  1階は観光案内がメインで、観光映像の上映、特産品や観光写真、ガイドマップで魅力を紹介しています。2階では五島の歴史(遺跡や遣唐使、倭寇、キリシタンの信仰、五島藩と庶民の生活など)、3階では五島の自然と民俗(五島列島の自然、農漁村の生活、民俗芸能など)をそれぞれ学ぶことができます。 2階 五島の歴史 3階 五島の自然と民俗 3階 五島の自然と民俗 1階のハイビジョンシアター 観覧時間: 1月〜6月 9:00〜17:00(入館は16:30まで) 7月〜8月 8:30〜18:00(入館は17:30まで) 9月〜12月 9:00〜17:00(入館は16:30まで) 休館日: 12月29日〜翌年の1月3日/12月1日〜4月30日(毎週月曜日) 観覧料: 小・中学生 個人:110円 団体(20名以上)90円 高校・大学生 個人:170円 団体(20名以上)140円 一般 個人:220円 団体(20名以上)180円 ※無料観覧の場合 ・毎週土曜日五島市内の小・中学生 ・減免申請者 ・身体障害者 ・未就学者  五島邸心字ヶ池は、五島藩第10代藩主の五島盛成(もりあきら)が隠殿として建てた五島邸の庭園です。盛成の命により、京都の僧善章が金閣寺の丸池を模倣してつくったもので、1858年(安政5)に完成しました。  池は“心”の字をかたどって造られたので、「心字が池」とよばれます。池の周りには樹齢800年を超えるクスノキの大木やビロージュ(亜熱帯植物)、ナンテンなどの古木、男女群島から移植したオオタニワタリなど亜熱帯植物が繁茂し、ところどころに石灯籠が配置されています。なかには、文禄の役の際に朝鮮半島から持ち帰ったといわれる五重の石塔もあります。  この庭園は、池の造りや石組みに意匠的・技術的な価値が認められ、あわせて熔岩の使い方や亜熱帯植物の配置など地元の風土を生かした特色もあり、建物も一体となって保存されていることから、庭園文化史上高い評価を受けています。 五重の石塔 クスノキ   鐙瀬熔岩海岸(あぶんぜようがんかいがん)    この場所から見えるなだらかな丘のような山が「鬼岳(おにだけ)」。地元の人は「おんだけ」とよびます。昔この鬼岳火山から流出した溶岩が、青く澄み切った海に延々7kmにわたって流れ込み、変化に富んだ海岸線を形づくってできたのが鐙瀬熔岩海岸です。温暖な無霜地地帯で、至るところに亜熱帯植物が繁茂し、南国を思わせる情熱的な花木が咲き乱れ、美しい景観を見せています。  ところで、鐙瀬(あぶんぜ)って難しい地名ですよね。どのような由来なのか気になります。1507年(永正4)、当時の領主宇久囲(うくかこむ)が、妹婿の玉之浦納(たまのうらおさむ)に攻められた際、馬でこの地まで逃げてきましたが、鐙(あぶみ)が切れてしまいました。小舟に乗って沖の黒島に落ちのびましたが、それでも敵が迫ってきたため、囲は自刃したといいます。以来、ここは「鐙瀬」とよばれるようになったそうです。 #03" class="btn basic_btn">富江珊瑚とは? 【お問い合せ先】  有限会社 出口珊瑚 TEL:0959-86-1135  E-mail:sango@k-int.jp 【2階資料館 入館料】  ・小学生以上 200円  ・小学生未満 100円 【珊瑚加工の体験について】  ・内容:ペンダントづくり、タイタックづくり  ・料金:お一人様2,100円 富江から見る鬼岳 白鳥神社(しらとりじんじゃ)  日本武尊(やまとたけるのみこと)を祭神として創祀された神社です。あるとき宮守が、一羽の白鳥が飛来して石の祠に姿を隠したのを見ました。その晩、白鳥が宮守の枕元に現れ、「吾こそ神の化身なり」と告げます。後日、宮守が村人たちにその話をすると、皆はいたく感動し、それ以来ここを「白鳥宮」と尊称したといわれています。  また、天台宗を開いたことで有名な最澄にまつわる話も伝わります。遣唐使として唐へ渡る途中の最澄が福江島に寄泊中、白鳥神社に航海の安全を祈願し、帰朝後に無事帰国できたお礼として、十一面観音の仏像を同社に奉納したという言い伝えです。この仏像は、明治年間に玉之浦の大宝寺に移され、現在同寺院本堂奥の左端の仏像がそれであるといわれています。  海にのぞむ現在の大鳥居は、1691年(元禄4)に、第5代藩主の五島盛暢(もりのぶ)が寄進したものです。1889年(明治21)には、伊藤博文も玉之浦湾巡視の際に参詣したそうです。また、樹木と草木に覆われた社叢は、長崎県の天然記念物に指定されています。 大瀬崎断崖(おおせざきだんがい)    大瀬崎の断崖は、五島列島を代表する観光スポットです。淡褐色の砂岩と黒色の泥岩が交互に重なった地層が、打ち寄せる波濤によって削り取られてできました。地殻変動による傾斜や、断ち切られた断層を随所に見せ、壮大な景色を形づくっています。 岬の突端・海抜80mの断崖上にある灯台は、1879年(明治12)に竣工した歴史ある施設で、『日本の灯台50選』の一つにも選ばれています。老朽化した最初の灯台は解体され、1971年(昭和46)に新しい灯台に生まれ変わりました。旧灯台は東海科学館に展示されています。  大海原に望む大瀬崎には、1898年(明治31)、無線電信機を備えた旧海軍の望楼(ぼうろう)が設置され、日露戦争時の1905年(明治38)に、ロシアのバルチック艦隊発見の報「敵艦隊見ユ」を受信したことでも知られています。  また太平洋戦争中に大瀬崎の目の前を船で通って南方の戦線に赴き、再び祖国の地を踏むことがかなわなかった多くの将兵たちの霊を慰めるため、北村西望作の「祷りの女神像」が広場に建立されています。 高浜海水浴場(たかはまかいすいよくじょう)    高浜は「日本の渚・百選」のほか、環境省選定の「日本の快水浴場百選」にも選ばれており、日本屈指の美しい海水浴場です。天然の砂浜の白銀色、波打ち際から水色、青色へ、そして沖合いの深い藍色へと、美しいグラデーションを見せてくれます。周りを囲む原生林の深い緑色とのコントラストもすばらしい景観をつくっています。この一帯はほとんど人の手が加わっておらず、渚本来の浄化能力が保たれていることから、西海国立公園の特別地域に指定されています。 空海記念碑「辞本涯(じほんがい)」・柏崎公園(かしわざきこうえん)・ふぜん河・岩獄神社・高崎鼻公園(たかさきばなこうえん)・道の駅遣唐使ふるさと館・白良ヶ浜万葉公園 魚津ヶ崎公園(ぎょうがさきこうえん)    肥前国風土記には、「西に船を泊(もつ)へる停(とまり)二処あり。一処の名を相子田の停といい、二十(はたち)余りの船を泊(は)つべし。一処の名は、川原の浦といい、一十(とお)余りの船を泊つべし。遣唐の使は、この停より発ちて、美弥良久(みみらく)の埼(さき)に至り。即ち、川原の浦の西の埼是なり。ここより発船(ふなだち)して西を指して度(わた)る」と記されています。魚津ヶ崎は、良好の「川原の浦」を東シナ海の波風から守るように突き出した岬です。川原の浦で風待ちをして順風を得た遣唐使船は、はるか唐の国をめざして出帆しました。 ●キビナゴ    キビナゴは、体長10cmほどの小さな魚です。鮮度が非常に落ちやすいので、漁師さんはキビナゴを漁獲すると、すぐに海水の入った氷水につけて冷やしこみ、鮮度が保たれるように気をつけているそうです。  キビナゴは、刺身、いり焼き、唐揚、天ぷら、煮付け、一夜干しなど、いろいろな料理で美味しく味わうことができます ●長崎和牛  長崎和牛の代表的な産地である五島。五島の牛は、雄大な自然と暖冬涼夏の風土の中で育てられている純粋な黒毛和牛です。性格はおとなしく早熟早肥で、肉質肉量を兼ね備えた質の良い牛として、全国から高い評価を受けています。やわらかくて香ばしく、食通の人をうならせる味です。 2日目 水ノ浦教会(みずのうらきょうかい)  木造の教会としては最大規模の天主堂です。青空に白い尖塔がそびえる光景はさわやかで、安らぎを与えてくれるようなやさしさがありました。  この水ノ浦教会が完成したのは、国家総動員法が発令された1938年(昭和13)のこと。戦争中で男手が足りず、女性や子どもたちも力仕事をいとわず奉仕しました。壁に塗る漆喰用の石灰は女性たちがミナという貝殻を焼いてつくり、シスターは赤土を背負って屋根の上に登って左官作業、子どもたちも手伝って一緒に煉瓦を運んだそうです。こうして白く美しい教会ができました。  しかし、戦時中には白い色が目立ちすぎたため、コールタールで黒く塗らなければなりませんでした。戦後、そのコールタールはそぎ落とされ、もとの白さを取り戻しています。白いレースをまとったようにも見え、「貴婦人のような教会」といわれています。 楠原教会(くすはらきょうかい)  かつて五島藩と大村藩の間でおこなわれた移住政策により、1791年(寛政3)、その第一陣のキリシタンが自由を求めて外海から海を渡り、福江島の六方(むかた)の浜に着きました。その一部が西の山奥にある楠原に住んで開墾しました。  1865年(元治2)の大浦天主堂での信徒発見(浦上信徒による信仰復活)をきっかけに、島のキリシタンたちも続々とカトリックの信仰を表明して、過酷な迫害を受けることとなりました。そうした中でも信仰を貫きとおした信徒たちは、「信教の自由」の夜明けとともに、島内各地に教会堂を建設しました。  楠原教会は、宣教師の指導と資金援助のもと、信徒たちの資金拠出と子どもから老人まで総力をあげての労働奉仕によって、1913年(大正2)頃に完成しました。煉瓦造りでどっしりとした外観は、水ノ浦教会と比較して「男性的な教会」というイメージのようです。  近くには、明治初期の迫害当時に、信徒たちが閉じ込められて拷問をうけた牢跡があります。   ●タビーナからの注意事項  教会の開閉時間やアクセスマップ、交通手段、駐車場台数など観光ガイドで詳細の情報がわかります。ただし、観光で教会を見学する場合は、最低限守らなければならないマナーがあります。必ずこのページを読んでね! 堂崎天主堂(どうざきてんしゅどう)  1873年(明治6)にキリシタン禁制の高札がおろされ、信教の自由が認められてから4年後の1877年(明治10)、フレノ神父とマルマン神父が五島を訪れました。堂崎の教会堂は、1879年(明治12)にマルマン神父によって建てられ、後任のペルー神父のときに用地を拡張して新聖堂の建設に着工、1908年(明治41)に完成したのが現在の天主堂です。1597年(慶長2)に長崎西坂の丘で殉教した日本二十六聖人に捧げられた教会で、五島出身の殉教者であるヨハネ五島の像が敷地内にあります。  1968年(昭和43)に浦頭教会が完成した後は巡回教会となっていましたが、1977年(昭和52)からキリシタン資料館として一般に公開されています。 開館時間: 午前9時〜午後5時(11月11日〜3月20日までは午後4時閉館) (夏休みは午後6時まで[8/13〜15は午後5時まで]) ※閉館30分前までに入場下さい。 拝観料: 大人300円(250円)・中高生150円(100円)・小学生100円(50円) (()内は、団体料金:20名以上) 休館日:年中無休[12月30日〜1月3日のみ休] 問合せ:TEL:0959-73-0705 明人堂(みんじんどう)・六角井戸(ろっかくいど)  1540年(天文9)、東シナ海を舞台に貿易商として活躍していた明人・王直(おうちょく)は通商のために深江(現在の福江)に入りました。当時、財政難で苦しんでいた領主・宇久盛定(もりさだ)は通商を許可し、江川城下の川向こうの高台の地に居住地を与えたといいます。 【明人堂】  航海の安全を祈るために、王直ら中国人が建立した廟堂の跡が、現在の明人堂であるといわれています。現在の明人堂の建物は、官民一体となった建設資金の募金活動により、島内外の浄財を集めて建設されました。石材などは中国から取り寄せ、中国風の瓦葺きや壁画は中国の工人の手によるものです。 【六角井戸】  領主・宇久盛定が王直に居住地として与えた地が、唐人町(現在の江川町)です。この六角井戸は、良水が得られなかったために、飲料用水・船舶用水としてつくられたといわれています。  長崎県内には中国人がつくったといわれる六角型の井戸が数カ所で見られますが、いずれも港町にあり、中国との交易がおこなれた場所です。 福江武家屋敷通りふるさと館(ふくえぶけやしきどおりふるさとかん)  五島藩の第2代藩主・五島盛利は、初代藩主・玄雅(はるまさ)の養子として跡を継ぎます。1619年(元和5)に玄雅の息子・角右衛門の養子であった大浜主水(おおはまもんど)が、後継者としての権利を主張するとともに盛利の失政を幕府に直訴しました(大浜主水事件)。この事件を機に、五島藩は藩主の支配権強化に着手し、藩政の礎を築きます。兵農分離を徹底し、各知行地に居住していた家臣たちに対して福江城下への移住を強制しました。また、領内の検地を実施し、家臣たちの知行高を決定して、藩財政の立て直しもおこないました。これは「福江直り(ふくえなおり)」とよばれ、1634年(寛永11)に完了します。  五島藩士170余家がここに移り住んだといいます。石垣の全長は約300m、通りには市の文化財に指定されている松園邸と播磨邸跡があります。城下町の風情が漂う武家屋敷通りは、観光スポットして多くの人々が訪れます。 バラモン凧製作ハンカチ染め等  この一角にあるのが、播磨邸跡の遺構をいかして建設された「福江武家屋敷通りふるさと館」です。入場は無料で、休憩所としてくつろげる庭園や喫茶コーナーがあり、イベントホールでは五島の特産品として知られるバラモン凧づくりやハンカチ染め等の体験ができます(要予約)。展示ホールでは企画展などが開催されています。 参考資料 『旅する長崎学4 キリシタン文化IV』(企画/長崎県 制作/長崎文献社) 『旅する長崎学5 キリシタン文化V』(企画/長崎県 制作/長崎文献社) 『福江市史(上巻)』『福江市史(下巻)』(平成7年3月31日発行) 『富江町郷土誌』(平成16年2月29日発行) 『玉之浦町郷土誌』(平成7年3月31日発行) 『郷土史事典』長崎県/石田 保著(昌平社出版) 取材協力 五島市観光協会 五島観光歴史資料館 有限会社 出口珊瑚 民宿 師瑞(しみず) 福江武家屋敷通りふるさと館
  • 第6回 島原半島ジオパークへの招待 2009年11月04日
    第6回 島原半島ジオパークへの招待
     このコーナーでは、長崎県内の歴史を探っていく旅のドライブルートを紹介しています。  今回の旅の必携アイテムは『旅する長崎学3』と 『旅する長崎学10』です。  今月の注目エリアは『島原半島』。2009年(平成21)8月22日、「島原半島ジオパーク」の“世界ジオパークネットワーク”への加盟が正式決定しました。“地質の世界遺産”ともいわれるジオパークに、日本で初めて認定されたということで、いま話題の島原半島を旅します。  島原半島の位置はみんなわかるかな?  では、ジオパークはどう? 世界遺産にくらべるとまだ歴史が浅いので、よく知らないっていう人も結構いるかもしれませんね。まずは、島原半島やジオパークをチェックしておこう! 島原半島の紹介 島原半島ジオパークって? 島原半島へ行く 一緒に旅をしてくれるのは、島原半島3市でそれぞれ活躍しているキャラクターたち。 島原市の「しまたろう」くん、南島原市の「六兵衛」さん そして雲仙市の「おゆっぴー」です。 今回のドライブルート 1日目千々石展望台(ちぢわてんぼうだい)・千々石海水浴場(ちぢわかいすいよくじょう)・千々石断層(ちぢわだんそう) ↓車で約15分 雲仙国立公園 ↓車で約30分 小浜温泉・小浜資料館(おばましりょうかん) ↓車で約25分 2日目 国崎半島自然公園(くにさきはんとうしぜんこうえん) ↓車で約20分 原城跡(はらじょうあと) ↓車で約30分 道の駅 みずなし本陣(ほんじん)ふかえ ↓車で約2分 雲仙岳災害記念館(うんぜんだけさいがいきねんかん) ↓車で約20分 平成新山(へいせいしんざん)ネイチャーセンター ↓車で約20分 島原城(しまばらじょう) ↓車で約20分 武家屋敷(ぶけやしき) ↓車で約5分 百花台公園(ひゃっかだいこうえん) ↓車で約3分 神代小路(こうじろくうじ)・鍋島邸(なべしまてい) スポットの紹介 1日目 千々石展望台(ちぢわてんぼうだい)・千々石海水浴場(ちぢわかいすいよくじょう)・千々石断層(ちぢわだんそう)  雲仙地溝の北の縁にある正断層。深く内陸側に入り込んだ海岸線が、高さ十数メートルの切り立った崖によって、見事に断ち切られています。島原半島の成り立ちとしても重要な場所のひとつ、「千々石断層」です。展望台はこの崖の上にあります。  千々石展望台には、長崎を代表するカステラをはじめ土産品がたくさん揃っており、多くの観光客が立ち寄り賑わっています。島原半島の大地で育ったジャガイモでつくる「じゃがちゃん」が名物! 日本景観百選の地にも選ばれた美しい橘湾の海原を眺めながら、「じゃがちゃん」を味わおう! 雲仙国立公園(うんぜんこくりつこうえん)  四季折々の自然はもちろん、地獄や温泉など魅力がいっぱいの雲仙。歴史的には、キリシタン殉教地としての悲しい歩みもありましたが、明治時代からは多くの外国人観光客が避暑に訪れて賑わい、いまもレトロな雰囲気が残ります。  次週の「テーマで歩く歴史散策」で詳しく紹介しますので、お楽しみに! 小浜温泉・小浜資料館(おばましりょうかん)  713年(和銅6)、「肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)」に“高来(たかく)の峰の西南より、温泉の湧出するのが見ゆ”と記されており、古くから知られた温泉場です。  1614年(慶長16)、浜に湯小屋が建てられた当時は、現在の小浜資料館・旧本多湯太夫邸下に浜湯があり、あちこちで湯気が湧く海岸だったといいます。その浜を1895年(明治28)に埋め立て、現在の小浜温泉街の礎ができました。  小浜資料館は、築160年の湯太夫(ゆだゆう)展示館、歴史資料展示館、さむらい小屋、足湯などの施設に分かれており、小浜の歴史を知ることができます。また施設内には、1944年(昭和19)に掘られた源泉もあります。  小浜の歴史を堪能した後は、ゆっくり足湯につかって旅の疲れを癒してください。 ■開館時間:午前9時から午後6時(入館は午後5時まで) ■休館日 :月曜日、年末・年始(12月29日〜1月3日) ■入館料 :100円(小学生以上) ■駐車場 :無料 ちゃんぽんの町  小浜は、知る人ぞ知る“ちゃんぽんの町”! 大抵のお店でちゃんぽんが食べられるんです。なんと、お寿司やさんにもちゃんぽんがあるんだよ!  さあ、「ちゃんぽんマップ」を持って、いろんなちゃんぽんに出会おう! 2日目 国崎半島自然公園(くにさきはんとうしぜんこうえん)  橘湾に細長く突き出した国崎半島。小規模ながら1970年(昭和45)に県立自然公園に指定されています。  国崎半島には250万年前に噴火した安山岩の溶岩や凝灰岩が分布しており、奥の方へ進んだ海岸沿いで、その姿を間近に見ることができます。 原城跡(はらじょうあと)  島原半島の南部に位置し、1496年(明応5)に日野江城(ひのえじょう)の支城として有馬貴純(ありまたかずみ)によって築かれたといわれます。  原城跡は、標高20mほどの高台が有明海に突き出た場所にあります。この地形は、約9万年前の阿蘇火山の大噴火に伴う大火砕流が、有明海を渡ってこの地まで流れてきたことによって作られた台地で、三方を海に囲まれたこの高台は、まさに難攻不落の天然の要塞でした。この地形を利用して、有馬家はこの地に原城を築きました。  この丘陵に本丸、二の丸、三の丸、出丸、天草丸などで構成された、長崎県内でも最大の平山城が築かれたのです。  江戸時代初期に勃発した「島原の乱」の最後の舞台となった場所です。1638年1月(寛永14年12月)、天草の領民を含む3万7千人(2万7千人ともいわれる)が、一国一城制で廃城になっていた原城に立てこもりました。88日間に及ぶ籠城の末、ついにこの地で島原の乱は終焉を迎えました。 #10" class="btn basic_btn">水の都とは? 百花台公園(ひゃっかだいこうえん)    雲仙岳を背景にした百花台公園は、木々や花々の自然が美しく、澄んだ空気に包まれる、とても気持ちのいいところです。  ゆっくりと深呼吸したくなる森林公園で、大自然をたっぷり満喫できます。子どもたちに大人気の遊戯施設やスポーツ施設もあるので、家族や友達と自然のなかで思いっきりはしゃぐこともできます。 神代小路(こうじろくうじ)・鍋島邸(なべしまてい)  中世の頃、現在の雲仙市国見町あたりには、神代(こうじろ)氏が住んでいました。この神代氏の最後の領主貴茂(たかしげ)は、1577年(天正5)に佐賀の龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)が島原の有馬氏を攻めた時、龍造寺側について有馬勢と戦いました。このときから佐賀と神代の特殊な関係が生まれました。  1584年(天正12)、有馬勢と戦っていた龍造寺隆信が島原郊外の沖田畷(おきたなわて)で戦死すると、島原半島における龍造寺の勢力はなくなりました。この混乱の中で神代氏は滅亡し、島原半島は有馬氏が完全に支配しました。  龍造寺家では、家臣の鍋島直茂(なべしまなおしげ)が実権を握ることとなり、東神代村・西神代村(現在の雲仙市国見町)・伊古(いこ)村・古部(こべ)村(現在の雲仙市瑞穂町)の4村を領有しました。そして龍造寺高房(たかふさ)の遺領を継承し、直茂の子・勝茂(かつしげ)の時に佐賀鍋島藩35万7,000石が誕生。直茂の兄・信房(のぶふさ)が神代鍋島家として所領します。  この地域は17世紀後半、鍋島嵩就(なべしまたかなり)によって、みのつる川の自然堆積地を中心に造成工事がおこなわれ、計画的に武家町が形成されていきました。  現在に至るまで様々な土地の変化はありましたが、江戸時代の地区割りがほぼそのまま残され、地域住民の皆さんのふるさとを愛する気持ちに支えられ、修理や復旧によって武家町の姿は守られてきました(国の重要伝統的建造物群保存地区に指定)。今でも鍋島邸(国の重要文化財に指定)を中心とした水路や生垣、石垣など多くの遺構に、当時の町並みの面影を見ることができます。 ■開館時間:午前10時から午後5時 ■休館日 :毎週月曜日・年末年始(都合により変更あり) ■入館料 :大人200円(団体150円)、小中高生150円(団体120円)、身障者の方100円 ■駐車場 :無料 参考資料 『旅する長崎学3 キリシタン文化III』(企画/長崎県 制作/長崎文献社) 『旅する長崎学10 近代化ものがたりIV』(企画/長崎県 制作/長崎文献社) 郷土史事典(長崎県/石田 保著/昌平社出版) 取材協力 島原半島ジオパーク推進連絡協議会事務局 小浜温泉観光協会 島原城天守閣事務所 道の駅みずなし本陣 雲仙岳災害記念館 平成新山ネイチャーセンター
  • 第5回 自然と歴史が織りなす“祈りと癒しの島・上五島” 2009年10月07日
    第5回 自然と歴史が織りなす“祈りと癒しの島・上五島”
     このコーナーでは、長崎県内の歴史を探っていく旅のドライブルートを紹介しています。  今月の注目エリアは『上五島』。旅の必携アイテムは『旅する長崎学4』と『旅する長崎学5』です。  まずは、新上五島町がどこにあるのかチェックしておこう。 新上五島町の位置 上五島をめぐる 今回、タビーナと一緒に上五島を旅してくれるのは、 「ナッシーくん」と「トッピーくん」! ずいぶん前から活躍している、トビウオをモデルとしたキャラクターです。 上五島産のトビウオはコクのある上品な味わいを出してくれるので、 “あごだし”で食べる「五島手延うどん」は絶品です。 長崎県内ではトビウオのことを『アゴ』と呼びます。 今回のドライブルート 1日目有川港(ありかわこう)・鯨賓館(げいひんかん)ミュージアム ↓車で約20分 頭ヶ島天主堂(かしらがしまてんしゅどう) ↓車で約5分 坂本龍馬ゆかりの広場 ↓車で約20分 五島うどんの里 ↓車で約5分 蛤浜海水浴場(はまぐりはまかいすいよくじょう) ↓車で約30分 浜串教会(はまくしきょうかい)・希望の聖母像(きぼうのせいぼぞう) ↓車で約10分 高井旅海水浴場(たかいたびかいすいよくじょう) ↓車で約5分 あこうの樹 ↓車で約15分 若松大橋(わかまつおおはし) ↓車で約20分 日島の石塔群(ひのしまのせきとうぐん) ↓車で約40分 弘法井戸(こうぼういど) ↓車で約10分 カピィ・プラザ ↓車で約10分 2日目冷水教会(ひやみずきょうかい) ↓車で約3分 矢堅目(やがため)公園 ↓車で約10分 青砂ヶ浦天主堂(あおさがうらてんしゅどう) ↓車で約10分 しんうおのめふれ愛らんど ↓有川港まで車で約25分 スポットの紹介 1日目有川港(ありかわこう)・鯨賓館(げいひんかん)ミュージアム  五島列島中通島(なかどおりじま)の海の玄関口として、上五島地域と佐世保地域とを結ぶ海上交通の要衝となっています。  この湾には昔から鯨が多く回遊していたといわれており、1598年(慶長3)に銛(もり)突きによる“有川捕鯨(ありかわほげい)”が始まった地です。  船を降りてすぐの有川港多目的ターミナル内には、鯨賓館(げいひんかん)ミュージアムがあり、捕鯨や教会群など上五島の歴史や、郷土が生んだ英雄などを紹介しています。  鯨賓館ミュージアムは、第2週の「テーマで歩く歴史散策」で詳しく紹介します。 頭ヶ島天主堂(かしらがしまてんしゅどう)  上五島出身で、多くの教会建築を手がけた鉄川与助(てつかわよすけ)の傑作といわれ、全国的にも珍しい石造りの教会です。信徒たちが島で切り出した石を丹念に積み上げて造られました。この地区の信徒の数はとても少なくなりましたが、当時の原型が大切に保存され、現在も教会堂として利用されています。2001年(平成13)11月に国の重要文化財に指定されました。  天井は二重の持送りハンマー・ビーム架構で折り上げられ、船底のようになっているのが特徴です。この珍しい様式の天井は、鉄川与助の一連の作品において、意匠的にかなり違うので、新しい空間創造の記念碑的建築ではないかともいわれています。    また海辺には、十字架をかたどったキリシタンの墓標が並び、この土地の歴史を訪れる人々に物語ります。 坂本龍馬ゆかりの広場  1866年(慶応2)5月2日未明、江ノ浜潮合崎(しおやざき)でワイルウェフ号が遭難し、船将である高泉十兵衛ら12人が溺死しました。  1865年(慶応元)、坂本龍馬は、薩摩藩や長崎商人の援助を受け、神戸海軍操練所の塾生たちとともに、日本初の商社を長崎・亀山の地に設立。亀山社中は、海運業に必要な船を薩摩の援助によって手に入れます。2本マストの様式帆船ワイルウェフ号は、命名式と洋上訓練を兼ね、1866年(慶応2)4月28日、長崎を出港しましたが、途中大暴風雨に遭って漂流し、5月2日暁、潮合崎で暗礁に乗り上げ転覆しました。乗組員4人を除いて他は死亡しました。この事故はただちに福江藩庁、薩摩長崎屋敷に報告されました。  両藩の役人は現地入りして遺体の収容などにあたり、有川専念寺住職によって埋葬されたそうです。龍馬は、同志の霊を弔うため、資金を添えて建碑を依頼したといいます。墓碑は、この広場から歩いて5、6分の江ノ浜集落の中にあります。  ワイルウェフ号が遭難した潮合崎を望むこの広場は公園になっており、「龍馬ゆかりの地」と記された石碑とともに、同型帆船の写真やかじとり棒と推定される原寸大の模型が設置されています。 五島うどんの里  上五島の特産品のひとつとして名高い「五島手延うどん」。そのルーツはかなり古くまで遡り中国大陸から伝わったといわれますが、はっきりしたことはわかりません。遣唐使船によって伝えられたとか、8世紀頃に中国から入ってきた舶来品がはじまりではないかとか、いろいろな説があります。このほかにも、元寇の際に捕虜となって五島に住みついた中国人が教えたという説や、五島を根拠地のひとつとしていた中国の貿易商人・王直(おうちょく)が伝えたのではないかともいわれています。  ここ「五島うどんの里」では、五島手延うどんを味わえるお店やお土産コーナーがあります。“五島手延うどんができるまで”を詳しく紹介する資料も展示されていますので、その美味しさのヒミツがわかりますよ。五島うどんの魅力を十分に満喫することができます。  毎年開催される「五島うどんフェスタ」は、多くの人出で賑わいます。 ■営業時間:8:30〜17:00(年末年始は休み)お食事処は、11:00〜14:00 ■問合せ先:0959-42-2655(有川港から徒歩1分です。) 蛤浜海水浴場(はまぐりはまかいすいよくじょう)    どこまでも遠浅の白い砂浜と透き通った青い海のコントラストが映える海水浴場です。シャワーなど設備も充実し、隣にはキャンプ場やスポーツ施設もあります。  毎年、海開きの日には「蛤浜で遊ぼDAY」のイベントが開催されます。「遊ぼDAY」とは、「遊ぶ日」と「遊ぼうよ」を重ねたネーミングです。  バナナボート、サイコロゲーム、地引網体験、スイカ割り、宝さがしなどが行われます。また2007年(平成19)からはサンドクラフトの祭典「白砂の芸術祭」も同時に開催され、砂のアートを堪能することができます。この日は町内外から多くの人が集まり、大いに賑わいます。 浜串教会(はまくしきょうかい)・希望の聖母像(きぼうのせいぼぞう)  昔から漁業が盛んな地区で、1896年(明治29)に建てられた初代の浜串教会は、捕鯨の利益で建てられたと伝えられています。1967年(昭和42)に新聖堂が建立されました。  この港口には、「希望の聖母像」が漁船の出入りを見守っているかのように立っています。  この浜串地区住民のほとんどが漁で生計をたてていることから、浜串教会が航海の安全と大漁を願って、1954年(昭和29)に建立し、1996年(平成8)に建て替えました。  浜串教会から奥の港口まで直進していくと、希望の聖母像へたどり着きます。車で約1分です。   高井旅海水浴場(たかいたびかいすいよくじょう)  ログハウス、コテージなど充実した施設が揃い、さまざまなマリンスポーツも楽しめます。   あこうの樹  あこうの樹は、全国に240本ほどあるといわれますが、長崎県内にはその3分の1に当たる80本が自生しているといいます。  ここ奈良尾のあこうの樹は、樹齢650年を越え、幹回りが約12メートル、高さは約25メートルあって、日本一の大きさを誇るといわれています。  神社の参道にそびえ、地上7メートルのところから支柱根(しちゅうこん)が2股に分かれているので、その姿はまるで自然の鳥居のよう・・・、訪れる参拝者たちを迎えてくれます。  1961年(昭和36)には国の天然記念物に指定され、1990年(平成2)には新・日本名木百選の木にも選ばれました。 若松大橋(わかまつおおはし)  全長552メートルのトラス橋で、1991年(平成3)に開通し、若松島と中通島が陸続きになりました。白い若松大橋が青い海と山々の緑の中に溶け込んで見せる美しいコントラストは、複雑なリアス式海岸の景観に違和感なくマッチして、とても癒されます。   日島の石塔群(ひのしまのせきとうぐん)  曲(まがり)地区の海に向かって延びるこの地には、中世(鎌倉〜南北朝〜室町)時代の石塔類が林立しています。長く過酷な歴史の流れをくぐり抜けてきた石塔群は、見る人を圧倒するほどの迫力をもっています。   #10" class="btn basic_btn">弘法井戸の話を読む カピィ・プラザ  青方港(あおかたこう)の沖合いに、上五島国家石油備蓄基地があります。世界初の洋上備蓄方式で、日本の造船工学、土木工学の粋を結集して造られた鋼鉄製貯蔵船です。  この国家石油備蓄基地のしくみやエネルギーについて、子どもたちにもわかりやすく伝えようと、新上五島町にある石油備蓄記念会館の1階に「カピィ・プラザ」がつくられました。  この施設は、日本を支える上五島の国家石油備蓄基地を紹介する“石油と備蓄基地ゾーン”と上五島の素晴らしい自然・歴史・文化を紹介する“上五島と自分発見ゾーン”に分かれています。石油備蓄のしくみがわかる展示パネルや、クイズに答えながらエネルギーのことを理解できるコーナーなど、誰でも楽しく学べるように工夫されています。   2日目冷水教会(ひやみずきょうかい)    1907年(明治40)5月に献堂式が行われました。この教会の設計施工も鉄川与助によるものです。この冷水教会は、鉄川与助が当時27歳で独立し、初めて手がけた教会として知られています。  内部は3廊式(さんろうしき)で主廊部(しゅろうぶ)、側廊部(そくろうぶ)ともに漆喰仕上げ(しっくいしあげ)、4分割リブ・ヴォールト(こうもり)天井を取り入れており、当時としては極めて斬新な建築といわれました。 矢堅目(やがため)公園  この地は古くから奈摩(なま)湾に侵入する外敵の見張りのために、矢(守備兵)で堅(砦)めたということで、「矢堅目」の地名が残されました。  中世末期の勘合貿易(かんごうぼうえき・室町時代における日本と明の公式貿易)の停泊(避難)港としても知られ、松浦党の一員である青方・奈摩両氏には、海賊からの警備の任務が課せられていました。  この公園から見る夕景は大変美しく、長崎県自然環境保全地域にも指定されています。 青砂ヶ浦天主堂(あおさがうらてんしゅどう)   奈摩湾を見下ろす小高い丘の上に建つ優美な煉瓦造りの教会です。長い迫害の時代が終わった後、宣教師たちは青砂ケ浦を上五島における宣教活動の拠点としました。最初の教会は山手にありましたが、1889年(明治22)に違う場所に建てかえられ、1910年(明治43)、鉄川与助の設計で現在の場所に建てられました。50戸あまりの信者たちが建設費を拠出し、さらにその労働奉仕によって建てられました。当時は海辺から建設現場までの道路もなく、女性や子どもも手伝って、石や煉瓦などの資材を人力で運んだそうです。  外観・内観ともに均整のとれた構造となっており、細部の意匠も優れています。日本人設計者の手で建設された煉瓦造り教会堂の初期のもので、この後に建築された煉瓦造り教会堂の構造や意匠の見本ともなりました。  2001年(平成13)11月に国の重要文化財に指定されました。 しんうおのめふれ愛らんど  「しんうおのめふれ愛らんど」は五島列島の北部に位置し、西海国立公園内にあります。レジャー施設として整備されており、溶岩海岸での磯遊びやパットゴルフ、テニス、おもしろ自転車などがあって、大人から子どもまで一日たっぷりと楽しく遊べます。東シナ海に沈む夕日は見逃せません。 上五島の物産  上五島の特産といえば、なんといっても『五島手延うどん』。有川港から徒歩1分のところにある「五島うどんの里」内には、観光物産センターがあり、五島手延うどんをはじめ、椿油製品やアクセサリー、そしてミネラル豊富な塩、海産物などが所狭しと並んでいます。どれもお土産にはもってこいで、迷ってしまいます。  また、アイスクリームのショーケースをのぞくと、そこには昭和を感じさせる懐かしいアイスクリームが並んでいました。上五島で生産されているものばかりなんです。 参考資料 『旅する長崎学4 キリシタン文化IV』(企画/長崎県 制作/長崎文献社) 『旅する長崎学5 キリシタン文化V』(企画/長崎県 制作/長崎文献社) 『長崎旅本-慶応幕末-』(平成21年発行) 『上五島町郷土誌』(平成16年発行) 『長崎県文化百選 五島編』(企画/長崎県 制作/長崎文献社) 『県史シリーズ42 長崎県の歴史』(瀬野精一郎著/山川出版) 取材協力 特定非営利活動法人 新上五島町観光物産協会 独立行政法人 石油天然ガス・金属鉱物資源機構 カピィ・プラザ
  • 第4回 松浦市 鷹島:元寇最後の激戦地、鷹島 2009年09月02日
    第4回 松浦市 鷹島:元寇最後の激戦地、鷹島
     このコーナーでは、長崎県内の歴史を探っていく旅のドライブルートを紹介しています。  今月の注目エリアは松浦市の『鷹島』。元寇、石工業、松浦とらふぐで知られる島です。テレビや新聞の報道でご存知の方も多いと思いますが、2009年(平成21)4月18日、佐賀県唐津市肥前町との間に鷹島肥前大橋が開通して、陸続きとなりました。  今回のテーマは、「元寇最後の激戦地、鷹島」です。さあ、元寇・ロマンの島 鷹島へ行ってみよう!  ところでみなさんは、鷹島がどこにあるか知っていますか?まずは、鷹島のことをチェックしておこう! 鷹島って? 鷹島に行く 今回、タビーナと一緒に旅をしてくれるのは、 「ゴルゴルくん」 と「とらふぐ君」です。 「ゴルゴルくん」は、元寇という歴史をお互いに乗り越えて友好を深めようと、 鷹島とモンゴル人民共和国との友好の証として誕生したキャラクターです! モンゴル相撲が趣味の力持ちで、やさしい心を持っています。 鷹島のモンゴル村で、キャラクターとして活躍しています。 「とらふぐ君」は、この「旅する長崎学」サイトのオリジナルキャラクターで、 松浦市の特産である“とらふぐ”がモデルです。 今回のドライブルート 鷹島肥前大橋(たかしまひぜんおおはし)・道の駅 鷹ら島(みちのえき たからじま) ↓車で約1分 兵衛次郎の墓(ひょうえじろうのはか) ↓車で約2分 松浦市立鷹島歴史民俗資料館・松浦市市立鷹島埋蔵文化財センター ↓車で約5分 鷹島海中ダム ↓車で約8分 龍面庵小弐公園(りゅうめんあんしょうにこうえん) ↓車で約2分 宮地嶽史跡公園(みやじだけしせきこうえん)・元寇記念之碑 ↓車で約3分 鷹島モンゴル村 ↓車で約3分 白浜海水浴場 ↓車で約10分 対馬小太郎の墓 ↓徒歩で約1分 刀の元の六地蔵(とうのもとのろくじぞう) ↓車で約3分 オアシス村・三代浜海水浴場(みえのはまかいすいよくじょう) ↓車で約3分 牧の岳史跡公園(まきのたけしせきこうえん) ↓車で約2分 開田の七人塚(ひらきだのしちにんづか) ↓車で約3分 今宮神社・広久山満福寺(こうきゅうざんまんぷくじ)跡 ↓車で約3分 銅造如来坐像(どうぞうにょらいざぞう) スポットの紹介 鷹島肥前大橋(たかしまひぜんおおはし)・道の駅 鷹ら島(みちのえき たからじま)  長崎県と佐賀県の共同事業として建設が進められ、2009年(平成21)4月18日に開通しました。この大橋の完成によって、離島であった鷹島は陸続きになりました。長崎県松浦市鷹島町神崎と佐賀県唐津市肥前町星賀が結ばれ、これまで鷹島への交通手段はフェリーのみでしたが、車で渡ることができるようになったのです。  橋の長さは1,250m。鷹島肥前大橋は、長崎県内では「女神大橋」に次いで2番目に長い橋です。歩道もあるので、ウォーキングコースとしても利用されています。  また、鷹島へと橋を渡ったところに、「道の駅 鷹ら島」が鷹島肥前大橋の開通とともにオープンしました。裏手にある緑地休憩広場からは大橋を望むことができ、景色が素晴らしいスポットとして見逃せません。   兵衛次郎の墓(ひょうえじろうのはか)  元寇で戦死した兵衛次郎の墓です。車道に近く、すぐれた観望とあいまって、現在に至っても参拝する人が絶えません。  1274年(文永11)、元軍が対馬に侵入してきた際、対馬守護代宗助国(そうすけくに)は一族80騎を率いて奮戦しましたが、遂におよばず・・・。戦死の直前、家臣の小太郎と兵衛次郎に、元軍の来襲を大宰府に知らせるようにと命じました。二人は、激戦のなかを小舟で抜け出し、博多に上陸して大宰府にその旨を報じ、その使命を果たしたそうです。   その後、1281年(弘安4)弘安の役のとき、小太郎・ 兵衛次郎の二人は鷹島に渡って奮戦し、この地で没したといわれ、それぞれ墓が建ちます。小太郎の墓は別の場所にあるので、あとで立ち寄ることにしましょう。 松浦市立鷹島歴史民俗資料館・松浦市立鷹島埋蔵文化財センター  弘安4年7月30日の夜、総勢4,400隻の船と約14万人といわれる元軍の大半が鷹島周辺の海に沈みました。  この歴史をもとに、鷹島周辺の海は水中考古学の宝庫として注目されており、これまでも調査がおこなわれてきました。沈没船の遺物調査と引き揚げ作業で発見された多数の元寇遺物が、松浦市立鷹島歴史民俗資料館に展示されています。このほか、考古資料・民俗資料も収集・展示してあります。  なお、隣接する松浦市立鷹島埋蔵文化財センターでは、遺物の調査や研究、保存処理などがおこなわれています。 #16" class="btn basic_btn">鷹島のとらふぐを食べる   毎年10月から翌年3月まで『松浦とらふぐまつり』が開催されます。鷹島をはじめ、松浦市一帯でとらふぐ料理をいろいろ味わうことができます。 参考文献 『鷹島郷土誌』(昭和50年発行) 『元寇ロマンの島 鷹島史跡めぐり』(鷹島町教育委員会) 『松浦党研究 第三号』 特集 元寇と松浦党(松浦党研究連合会) 『松浦党研究 第六号』 (松浦党研究連合会) 取材協力 松浦市教育委員会 生涯学習課 文化財室 松浦市鷹島支所 地域振興課 松浦市立鷹島歴史民俗資料館 松浦市立鷹島埋蔵文化財センター モンゴル村レストハウス
  • 第3回 近代洋式炭鉱が始まった地、高島 2009年08月05日
    第3回 近代洋式炭鉱が始まった地、高島
     このコーナーでは、長崎県内の歴史を探っていく旅のドライブルートを紹介しています。  今月の注目エリアは長崎市の『高島』。市町村合併前は、日本で最も面積の小さい町だったそうです。今回の旅は、そんな小さな島「高島」のすごい歴史に迫ります。テーマは、「近代洋式炭鉱が始まった高島」です。さあ、高島へ向かって夏の海をGO! おや、高島ってどこにあるのかって? じゃあまずは、高島のことをチェックしておこう!今回の必携アイテムは、『旅する長崎学8』です 高島って 高島をめぐる  今回、一緒に旅をしてくれるのは、この「旅する長崎学サイト」オリジナルのキャラクターたちです。  まずは、高島じまんの美味しいキャラクターが登場するよ!  長崎港と高島港ターミナルで待ち合わせしてるんだ。楽しみだね!  あっ、お迎えがきた。 はじめまして!糖度が高くてビタミン豊富な高島特産のトマトです。よろしくね。 今回の航路 今回のサイクリングルート 長崎港 稲佐山 ↓長崎港を出航〜高速船で約5分 三菱重工業(株)長崎造船所立神工場【船窓より】 ↓高速船で5分 女神大橋(めがみおおはし)【船窓より】 ↓高速船で約3分 高鉾島(たかほこじま)【船窓より】 神ノ島教会(かみのしまきょうかい)【船窓より】 ↓高速船で約6分 伊王島【船窓より】 ↓高速船で約15分 高島港ターミナル ↓自転車で約1分 高島石炭資料館 ↓自転車で約1分 百間崎(ひゃくまざき) ↓自転車で約1分 コンニャク煉瓦の擁壁(ようへき) ↓自転車で約2分 高島海水浴場・ふれあいキャンプ場 ↓自転車で約1分 飛島磯釣り公園(とびしまいそづりこうえん) ↓自転車で約3分 グラバー別邸跡 ↓自転車で約1分 後藤象二郎邸跡 ↓自転車で約1分 北渓井坑跡(ほっけいせいこうあと) ↓自転車で15〜20分程度(上り坂のためゆっくり) 権現山(ごんげんやま)公園・展望台 ↓自転車で10分程度 高島風力発電所・浜節歌碑 ↓自転車で約5分。高島港ターミナルへ戻ります。 スポットの紹介 長崎港  1571年(元亀2)のポルトガル船の来航以来、開港され、鎖国政策をとった徳川幕府時代も唯一西洋に開かれた門戸として、海外文化の受け入れに重要な役割を果たしてきました。  港内に堆積して海上交通の支障となっていた土砂を掘削することを目的として、明治維新後から昭和初期にかけて3度の改修工事が行われました。しかしその工事によって、1636年(寛永13)に造られた人工島の出島周辺は埋め立てられ、残念ながら当時の風景はほとんど見られません。  そして1923年(大正12)、長崎-上海間に日本郵船(株)の長崎丸が就航し、上海航路の時代が幕開け・・・。長崎は外国人観光客や関西方面のからの旅行客で大いに賑わいました。  現在、長崎港からは、高島のほか下五島・上五島・伊王島への航路があります。また、港めぐり・軍艦島遊覧など遊覧コースも人気があり、多くの人々に利用されています。 高島へ渡る船「コバルトクィーン号」 稲佐山  標高333mと、東京タワーと同じ高さ。山頂から見える景色は良好で、日本3大夜景といわれています。ロープウェイもあり、長崎の代表的な観光スポットとして多くの観光客の皆さんが訪れています。また、野外でのコンサートやイベントなども開催され、市民にも親しまれている憩いの場のひとつです。 約35分の船の旅で、ちょっとしたクルーズ気分。長崎港内の景色を楽しみながら、さあ高島へ出発!! 三菱重工業(株)長崎造船所立神工場(みつびしじゅうこうぎょうながさきぞうせんしょたてがみこうじょう)【船窓より】  1853年(嘉永6)のペリーの来航以来、列強国からの侵略を防ぐべく、江戸幕府はオランダの助力を得て1855年(安政2)に長崎海軍伝習所を設立しました。それにともなう艦船の修理施設として、1857年(安政4)に飽の浦(あくのうら)で長崎製鉄所(当初は長崎鎔鉄所)の建設が始まりました。これが日本の近代重工業の原点となります。明治維新後に官営を経て三菱に経営が移転し、長崎造船所と改称。明治後期には東洋一の造船所となりました。  船の窓から、近代化産業遺産を見ることができます。約100年が経過した今でも現役で稼動している、英国製の150トンのハンマーヘッドクレーンは、1909年(明治42)に設置されたものです。1942年(昭和17)竣工の戦艦「武蔵」を秘密裏に造った船台として知られています。また、ワシントン海軍軍縮条約により廃艦となった戦艦「土佐」を、1920年(大正9)に起工しています。 女神大橋(めがみおおはし)【船窓より】  愛称は、ヴィーナスウイング。2005年(平成17)12月11日、10時30分に女神大橋は開通式を迎え、15時から供用が開始されました。全長1,289m。海面からの高さが65mあり、日本一です。高い塔から斜めに張ったケーブルで吊下げた斜張橋です。ケーブルで吊られているために吊橋のように見えますが、力学的には桁橋に属します。長崎市大浜町と長崎市新戸町を繋いでいます。 高鉾島(たかほこじま)【船窓より】  右手に三角の形をした、高鉾島が見えます。オランダ人たちはこの高鉾島を、“パーペンベルグ(キリシタンの島)”と呼んだそうです。  1614年(元和)に徳川幕府が禁教令発布した3年後のこと。高鉾島で、宣教師をかくまっていた宿主のガスパル上田彦次郎とアンドレア吉田の2人が役人に捕らえられ、1617年(元和3)10月2日に斬首されるという事件が起こりました。この事件は一般の領民であるキリシタンが処刑された最初の出来事でした。殉教した2人は1867年(慶応3)に"福者"となりました。 神ノ島教会(かみのしまきょうかい)【船窓より】  高鉾島を通り過ぎる頃に振り返ると、切り立つ断崖の中腹に白亜の教会・神ノ島教会が見えます。  神ノ島は、周囲わずか1kmほどの小さな島でした。17世紀頃のキリシタン禁教令から逃れるためにキリシタンが住み着き、約260年以上もの長いあいだ、潜伏してキリスト教の信仰を守った場所でした。1873年(明治6)2月に、幕府の禁教令の高札が撤廃され、1876年(明治9)に、念願だった仮聖堂が建立。1881年(明治14)にラゲ神父によって木造の教会が建てられました。現在の教会堂の原型となるのは、1897年(明治30)に6代目として赴任してきたデュラン神父が、自ら私財を投じ、信徒と力を合わせて完成させた煉瓦造りで、約110年もの歴史ある教会堂です。  敷地内には、信仰復活に勇敢に行動した西忠吉・政吉の兄弟の墓碑と記念碑があります。 ※神ノ島教会と高鉾島の詳しい紹介はこちらをご覧ください。 伊王島【船窓より】  右手に、南北に連なる沖之島と伊王島が見えます。2つの島のあいだは、1911年(明治44)に架設された36メートルの橋で結ばれています。  船上からはオレンジ色の屋根のリゾート施設や、1890年(明治23)に建てられた白亜のゴシック様式の天主堂・沖之島教会が見えます。夜はライトアップされ、ひときわ美しく荘厳な雰囲気を漂わせています。 ※長崎港〜高島港の航路は、神ノ島や伊王島を経由します。(神ノ島を経由しない便もあります) ※詳しくは、長崎汽船株式会社公式サイトをご覧ください。 高島港ターミナル   高島石炭資料館  明治・大正・昭和にわたって長年創業してきた高島炭鉱の歴史を後世に伝えるために1988年(昭和63)にオープン、そして2004年(平成16)にリニューアルされました。  1階では、高島炭鉱の石炭採掘の歴史や関わりの深い人物、三菱の社船「夕顔丸」の紹介をはじめ、当時の炭鉱作業に関する写真パネル、本・映像など詳細の資料が揃っています。2階には炭鉱組合記念品や化石資料、民具などが展示されています。 ■開館日 :毎週火曜日〜日曜日 9:00〜17:00 ■休館日 :毎週月曜日・年末年始 ■問合せ先:高島教育センター TEL:095-896-3110 百間崎(ひゃくまざき)  炭坑開発のため、防波堤を築き、海を埋め立てて炭坑施設用地を造りました。その防波堤が非常に長く、百間(ひゃっけん・約180m)ほどもあることから、この先の地名は「百間崎(ひゃくまざき)」と名づけられました。 コンニャク煉瓦の擁壁(ようへき)  1887年(明治20)頃、百間崎坑開発のために道路を建設し、その擁壁として利用されたものです。薄い煉瓦は、その形や大きさがコンニャクに似ていたことから、「コンニャク煉瓦」と呼ばれました。このコンニャク煉瓦は高島石炭資料館にも展示されています。 コンニャク煉瓦の擁壁(ようへき) コンニャク煉瓦(高島石炭資料館) 高島海水浴場・ふれあいキャンプ場  1997年(平成9)にオープンした人工海水浴場で「日本の水浴場88選」に選ばれています。  砂浜、タイル、ウッドデッキ、芝生が整備されていますので、小さなお子様連れでも安心して遊べます。入場料・桟敷料・シャワー料金など無料で利用できます。  また海水浴場と隣接してふれあいキャンプ場があります。炊飯棟も完備され、キャンプに必要な道具一式が揃っていますので、手ぶらでも安心して利用できます。ただし事前に予約が必要です。 #17" class="btn basic_btn">伝説を読んでみる 高島風力発電所・浜節歌碑  出力600kWの風力発電機(風車)は、年間約170万kWhの発電量をまかなっています。一般家庭の約450世帯分です。そして年間約400トンの二酸化炭素を削減しているといいます。この地は公園化されており、風車の脇には、お座敷唄として唄い継がれてきた『浜節』の歌碑が建てられています。  この場所からの景観は素晴らしく、端島や中ノ島がよく見えます。また高島炭鉱時代にボタによって埋め立てられた上二子島・下二子島があったところには、現在ふれあい多目的運動公園が整備され、地元の人々に活用されています。 参考文献 『旅する長崎学8』(企画/長崎県 制作/長崎文献社) 『高島町 閉町記念誌』 取材協力 高島教育センター(高島石炭資料館)