ながさき歴史の旅

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ながさき歴史散歩

  • 第7回 殉教の足跡を探して 2007年07月04日
    第7回 殉教の足跡を探して
     17世紀、徳川幕府を震撼させた日本最大の一揆「島原の乱」。飢饉と凶作のなかでの重税、築城のための過重な負担、幕府の禁教令によるキリシタンへの拷問などなど、耐えるだけ耐えた島原・天草の領民たちの苦しみは怒りへと変わりました。 キリスト教の棄教を迫る厳しい拷問のはじまり、島原の乱の原因となった背景、天草四郎率いる一揆軍が原城へと篭城するまでの歴史を追いかけます。  雲仙岳の麓にある小浜からスタートして雲仙・島原・天草を巡り、島原の乱が勃発したきっかけを掴む今回の旅。訪れる先は、いまは風光明媚な温泉の名所ばかり。車とフェリーを乗り継いで、湯ったりのんびり歴史と温泉の旅を満喫しましょう! 歴史のとびら  豊臣秀吉の死後、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康へと政治の主導権が移りました。家康は慶長8年(1603)に江戸幕府を開き強力な幕藩体制を確立していきます。当初、キリスト教の布教に寛大だった幕府は、布教を条件とするポルトガルとの貿易に対して不信感を持ち、増え続ける日本のキリシタンたちに脅威を抱くようになりました。特に、西日本を中心に増えるキリシタンが豊臣方の残党勢力が結束するのを恐れ、ついに幕府は禁教令を発布。1612年には天領に、そして1614年には全国に広げ、キリシタン摘発がおこなわれます。  1637年、このような厳しい拷問が続くなか、これに追いうちをかけるように天災、飢饉・凶作・重税などが島原半島と天草の領民を苦しめていました。同年、妊婦を拷問死させた事件や、代官が聖画像を踏みにじる事件が相次いで起こり、領民たちは激昂。おさまらない怒りに次々と島原半島南部の代官を襲いました。そして、島原半島と天草の間に浮かぶ湯島で、一揆軍の首謀者が密かに集まってキリシタンであることを表明し合い、天草四郎を総大将に蜂起することを誓った「湯島の談合」とよばれる密談がおこなわれました。一揆軍は数日後には島原城下を焼き払い、森岳城(島原城)を攻撃するも落城できず。天草では、本渡瀬で一揆軍と幕府の唐津軍が合戦、そして富岡城の総攻撃、最後の砦の本丸を陥落できず。城を落とせなかった島原と天草の領民ら約3万7千人(約2万7千人ともいわれる)は、廃城となっていた“原城”へと向かい籠城。一揆軍は若干16、17歳の天草四郎を総大将にポルトガルからの援軍を待ちながら、幕府の攻撃に耐えていました。悲愴なまでの覚悟を胸に、幕府という強大な権力に立ち向かった一揆軍の魂を感じる歴史の旅がはじまります。 散歩コース スタート地点までのアクセス ◎所要時間のめやす:1泊2日(車) 1小浜町歴史資料館(湯太夫跡) ↓車で30分 2雲仙教会(雲仙市小浜町雲仙) ↓車で3分 3雲仙地獄(雲仙市小浜町雲仙) ↓車で40分 4島原城(島原市) ↓ 車で30分→フェリー(須川港−湯島)で約30分 5湯島(熊本県上天草市) ↓→フェリー(湯島-三角)で約70分→車で60分 6天草切支丹館(熊本県天草市) ↓車で40分 7殉教公園(熊本県天草市) ↓車で約40分 8富岡城跡(熊本県天草郡) 1小浜町歴史資料館(湯太夫跡) 森岳城(島原城)の門が残る湯の町・小浜  今回の旅は、雲仙への登山口でもある温泉郷・小浜からスタート。雲仙地獄での厳しい拷問をおこなった島原藩主 松倉重政は、長崎からの帰り道にこの小浜の温泉の入浴を楽しんでいる最中に、長崎奉行の刺客に暗殺されたといわれています。また、小浜地域の民話では、島原の乱勃発直前に天草四郎一行がこの辺りの温泉に立ち寄ったとも伝えられています。史郎は、戦を前にして、小浜の温泉で何を思っていたのでしょうか。島原の乱には、小浜の領民の多くが参加したそうです。(写真は小浜温泉街(長崎県観光連盟)  当時の様子を詳しく知るために、築160年を誇る温泉の番人 本多家の屋敷を利用した小浜町歴史資料館を訪れました。館内には小浜温泉を発展させた本多家の業績のほかに、島原の乱が起こったときの小浜の様子などが展示されています。資料館の入口には、明治維新の際に森岳城(島原城)解体で買い取ったという門が残っていました。この門を挟んで一揆軍と幕府軍が攻防を繰り返したのかもしれません。中庭には、昔から親しまれていた足湯や、武士や藩士が宿泊して湯地できる施設さむらい小屋などがあって、今では家族風呂として楽しめるそうですよ。 旅人コメント 「公民館の向かいにある「上の川湧水」に行ってみて!ここはキリシタン殉教の秘話に登場する湧水だそうです。」(茜) 「小浜の小さい路地を散策していたら発見しました『炭酸泉』。ボコボコと音をたてながら湧いています。熱いのかなと思って手を入れたら冷たかったのでビックリ! 肌によさそうね!」(芳乃) 2雲仙教会 殉教者に捧げられた教会  小浜から車で山道をうねうねと登ると、閑静な山あいに雲仙教会があります。日光に反射する赤レンガが特徴です。この教会は、雲仙地獄で長期間の拷問に耐えた後、長崎にある西坂の丘で火あぶりの刑に処せられた殉教者・アントニオ石田神父らに捧げるため、1981年に建てられました。毎年5月には殉教祭がおこなわれ、多くの巡礼者や観光客が訪れて、静かに祈りを捧げています。 3雲仙地獄 多くのキリシタンが殉教した文字通りの地獄  雲仙教会からさらに山手へ車を進めると、雲仙地獄に到着。立ち上る湯気と硫黄の独特なにおい、無骨な岩がゴロゴロしている光景はまさに「地獄」の様相です! 1627年、なんとこの熱湯煮えたぎる地獄にキリシタンを浸けては引き上げるという非道な拷問が始まります。幕府の禁教令に従ってキリスト教を棄教させるためとは言え、悲しい出来事です…。2007年6月1日、正式に列福が決まった「ペトロ岐部と187殉教者」のなかには、キリシタン大名の有馬晴信に仕え身分の高い武士だった内堀作右衛門をはじめとする雲仙で殉教した29名も含まれています。  時代は変わって明治になると、雲仙は外国人の避暑地として賑わいました。ゴルフやテニスといった当時ハイカラなスポーツが楽しめる温泉街。四季折々に楽しめる懐深い雲仙の自然は、日本で初めて国立公園の指定を受けました。 旅人コメント 「この看板を見て!私も大好きなんです。硫黄の燻製みたいな感じでおいしいんですよ。雲仙でしか味わえないタマゴです。」(温泉博士) 4島原城(森岳城) 一揆軍の攻撃を跳ね返した難攻不落の城  この島原城(森岳城)は、藩主・松倉重政が1624年の完成までに7年の歳月を費やしました。石高4万石に対して立派すぎる城郭建築のための重税と労役が、ゆくゆくは島原の乱を招くことになりました。湯島の談合の2日後、い1637年旧暦の10月26日に、一揆軍は総攻撃を仕掛けましたが、ついに落城できませんでした。  激戦の跡を、館内に展示された資料が物語っています。現在の城郭は、戦後に復元されたもの。湧水の豊かな島原! お城近くの店では、島原名物の“具雑煮”や夏限定の和のスイーツ“かんざらし”をいただくことができますよ。 旅人コメント 「城内に天草四郎の像を発見! 島原の一揆軍が籠城して最期を迎えたのが島原城だと勘違いしている人も多いとか・・。」(千秋) 5湯島  雲仙から県道132号線を通って南島原市西有家町の須川港から湯島商船のフェリーに乗って、天草の湯島へと渡りましょう。  目の前にぽっかりと浮かぶ「湯島」が見えてきますよ。この島は島原の乱 一揆軍の密やかな作戦会議の場となったことから「談合島」ともよばれます。1637年旧暦の10月、島原と天草の首謀者たちがこの湯島に集まり、一揆の計画を企てました。この密談で、若き天草四郎が一揆軍の総大将として決定しました。談合の翌日、一揆軍は、島原藩の代官 林兵左衛門を殺害し、2日後には森岳城(島原城)を攻めました。島原藩、幕府という強大な敵に立ち向かう時、彼らの心中にはどんな思いが交錯したのでしょうか。ちなみに湯島へは熊本の三角港から湯島商船の船で渡ることができます。夏には鯛釣り大会で賑わっています。  静かに浮かぶ湯島を見つめながら、今度は天草の一揆をたどってみましょう。 三角から天草パールラインを通る途中にある天草四郎公園(上天草市の大矢野島) で、1637年旧暦の10月28日に一揆軍がノロシを挙げました。ここからも湯島が見えますよ。一揆軍は徐々に上島から南下して、11月14日に本渡瀬戸の合戦、11月19日に富岡城まで攻め込みます。この距離を車で走るだけでも、その凄まじい勢いが伝わってきます 7殉教公園 一揆軍の武勇を伝える資料館と史跡のある殉教公園 ○天草切支丹資料館  島原の乱における天草最大の激戦地、本渡の町へ来ました。乱で使用されたキリシタンの品々を展示している天草切支丹館。現在は本渡歴史民俗資料館に移転され、仮館として開設しています(*)。館内のスタッフさんが話してくれる見事な島原の乱の物語を聞きながら、天草四郎陣中旗など貴重な資料を拝見。天草での一揆軍の勢いが、リアルに感じられるスポットです。 *現在、天草切支丹館は改装工事のため、天草市今釜新町にある本渡歴史民俗資料館の1階に移転しています。完成の予定は平成21年頃です。 ○殉教戦千人塚とキリシタン墓地(殉教公園)  本渡の町が一望できる高台にある殉教公園は、天草氏の本渡城があった場所です。ここは、16世紀に宣教師を招いて天草氏やその家臣たちが洗礼を受けたといわれている城の跡なのです。公園内に建つ殉教戦千人塚は、1637年旧暦11月、天草四郎率いる7千人のキリシタンと、幕府の唐津軍約2万5千人が本渡で激突した時に、命を落とした人たちを手厚く祀った地蔵堂を各所から集めてひとつにしたものです。  もう少し上の方へ歩いていくと、芝生の上に無数の白い十字架が並んだキリシタン墓地があります。ここで、日本で初めて西洋医学を伝えた宣教師ルイス・デ・アルメイダの記念碑を発見しました。長崎での布教にも活躍したアルメイダは、1583年、58歳のときにこの天草の地で亡くなったのですね。 旅人コメント 「天草四郎の像をここでも発見しました!九州には何体の像があるんでしょうね?」(バンブー) 8富岡城跡 一揆軍が攻めあぐねた山城  この旅の最後に訪れたのは富岡城跡です。一揆軍は、この城に総攻撃をかけ攻めたてたものの、ついに落とせず、これが戦局のターニングポイントになったという城です。城下には島原の乱の戦闘で命を落としたキリシタンを祀ったという首塚(千人塚)があり、戦いの凄惨さがひしひしと感じられます。  城郭は現在改修中。天守閣付近からは、青く美しい天草灘をぐるりと見渡せて、抜群の眺望が楽しめます。特に夕暮れ時は最高! 珍しい天草の海中生物などを展示している富岡ビジターセンターもありますよ。 参考文献 『旅する長崎学1 キリシタン文化1』 特集2-第2章 アルメイダとヴィレラの足跡 長崎における布教と教会建設 『旅する長崎学5 キリシタン文化5』 特集2-第5章 雲仙地獄の拷問 そして絵踏みは始まった… 特集2 幕府をゆるがせた123日-島原の乱 『旅する長崎学6 キリシタン文化 別冊総集編』 第4章 キリシタン受難そして島原の乱 島原半島 スタート地点までのアクセス 小浜町歴史資料館(湯太夫) 所在 長崎県雲仙市小浜町北本町923-1 お問い合わせ TEL/0957-75-0858 開館時間 9:00〜18:00 休館日 月曜日 年末年始(12月29日〜1月3日) 料金 100円(小学生以下無料) 駐車場 11台 アクセス 車…国道57線より伊勢屋旅館先を左折、つきあたりを右へ約50m(諫早ICより50分) バス…島鉄バス[島原・雲仙・愛野駅・諫早線]《西登山口》より徒歩3分、長崎空港から約70分、諫早駅より約40分 ● 長崎空港、島鉄バスのバス停[小浜]までのアクセスは「ながさき旅ねっと アクセス」をご覧ください。
  • 第6回 世界遺産候補を巡る旅 上五島編 2007年06月20日
    第6回 世界遺産候補を巡る旅 上五島編
    小さな漁港が長崎のルーツ!?  「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が世界遺産の候補となりました。長崎におけるキリスト教の歴史は、伝来、繁栄、禁教、弾圧のあと、長い潜伏を経て奇跡の復活を遂げ、その後各地に教会が建てられ、いまに続いています。この世界宗教史上まれにみる激動の歴史と、厳しい迫害の中で何代にもわたって受け継がれてきた篤い信仰の姿を、いまもなお現存する教会や史跡の数々が物語っています。現在、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」には、県内各地に残るキリシタンの歴史を物語る文化遺産のなかでも、代表的な史跡や教会が構成資産として、県内20箇所がピックアップされています。  このウェブサイト「旅する長崎学<<たびなが>>」では、この20箇所を「平戸&外海編」「長崎市街&島原編」「下五島編」「上五島編」と、4編に分けてご紹介します。長崎のキリシタンの歴史を旅してそのすばらしさと価値を体感すると、これらの“長崎のたからもの”をずっと大切にして、世界中の人にも知ってほしいと思わずにはいられません。今回は、「上五島編」です。このエリアに点在する貴重な教会と遺産を旅してきました。教会は祈りの場所ですから、マナーを守って見学させていただきましょう。 歴史のとびら  長崎におけるキリスト教の歴史は、1550年、平戸に来航したフランシスコ・ザビエルの布教にはじまります。海外からやってきた宣教師たちの熱心な宣教活動と、南蛮貿易の利を得たい領主たちの思惑もはたらいて、キリシタンの数は増え続けますが、一転して受難の時代を迎えることになります。禁教下での弾圧による迫害、そして殉教・・・。1644年には日本国内にはひとりの神父もいなくなってしまいますが、キリシタンたちは先祖から伝えられた伝承やマリア信仰を心のよりどころに、潜伏しながらその教えを守り続けるのです。こうして受け継がれた篤い信仰は、約250年もの長い潜伏の時を経て、1865年、大浦天主堂を舞台に起こった「信徒発見」とよばれる信仰表明の感動的な瞬間へとつながり、日本キリシタンの復活は世界中に感動と衝撃を与えました。こののち、信仰の証として信徒たちの手によって建てられた教会は、まさに復活のシンボル的な存在となったことでしょう。長崎の自然環境とみごとに調和した幻想的で厳かな空間はもちろん、西洋と日本の技術が折り込まれた美しく独創的な意匠は、訪れる人々を魅了します。これらの遺産は450年以上もの歴史が育んだ結晶なのです。  現在、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産としてピックアップされているのは20資産。そのうち教会が12件、キリスト教関連遺産は史跡など8件となっています。この長崎の“たから”を、次の世代へと大切に受け継ぎたい。2007年、長崎県は世界遺産の登録へ向けての大きな一歩を踏み出しました。 散歩コース スタート地点までのアクセス ◎所要時間のめやす:1泊2日 img/sub/map_point2.gif' alt='2' />2青砂ヶ浦天主堂 ↓有川港へ車で約20分+小値賀港へフェリーで約40分+町営船〔はまゆう〕35分+野崎港より徒歩20分
  • 第5回 世界遺産候補を巡る旅 下五島編 2007年06月06日
    第5回 世界遺産候補を巡る旅 下五島編
    しまの教会群が物語るキリシタンの歴史  「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が世界遺産の候補となりました。長崎におけるキリスト教の歴史は、伝来、繁栄、禁教、弾圧のあと、長い潜伏を経て奇跡の復活を遂げ、その後各地に教会が建てられ、いまに続いています。この世界宗教史上まれにみる激動の歴史と、厳しい迫害の中で何代にもわたって受け継がれてきた篤い信仰の姿を、いまもなお現存する教会や史跡の数々が物語っています。現在、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」には、県内各地に残るキリシタンの歴史を物語る文化遺産のなかでも、代表的な史跡や教会が構成資産として、県内20箇所がピックアップされています。  このウェブサイト「旅する長崎学<<たびなが>>」では、この20箇所を「平戸&外海編」「長崎市街&島原編」「下五島編」「上五島編」と、4編に分けてご紹介します。長崎のキリシタンの歴史を旅してそのすばらしさと価値を体感すると、これらの“長崎のたからもの”をずっと大切にして、世界中の人にも知ってほしいと思わずにはいられません。今回は、「下五島編」です。このエリアに点在する貴重な教会と遺産を旅してきました。教会堂は祈りの場所ですから、マナーを守って見学させていただきましょう。 歴史のとびら  長崎におけるキリスト教の歴史は、1550年、平戸に来航したフランシスコ・ザビエルの布教にはじまります。海外からやってきた宣教師たちの熱心な宣教活動と、南蛮貿易の利を得たい領主たちの思惑もはたらいて、キリシタンの数は増え続けますが、一転して受難の時代を迎えることになります。禁教下での弾圧による迫害、そして殉教・・・。1644年には日本国内にはひとりの神父もいなくなってしまいますが、キリシタンたちは先祖から伝えられた伝承やマリア信仰を心のよりどころに、潜伏しながらその教えを守り続けるのです。こうして受け継がれた篤い信仰は、約250年もの長い潜伏の時を経て、1865年、大浦天主堂を舞台に起こった「信徒発見」とよばれる信仰表明の感動的な瞬間へとつながり、日本キリシタンの復活は世界中に感動と衝撃を与えました。こののち、信仰の証として信徒たちの手によって建てられた教会は、まさに復活のシンボル的な存在となったことでしょう。長崎の自然環境とみごとに調和した幻想的で厳かな空間はもちろん、西洋と日本の技術が折り込まれた美しく独創的な意匠は、訪れる人々を魅了します。これらの遺産は450年以上もの歴史が育んだ結晶なのです。  現在、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産としてピックアップされているのは20資産。そのうち教会が12件、キリスト教関連遺産は史跡など8件となっています。この長崎の“たから”を、次の世代へと大切に受け継ぎたい。2007年、長崎県は世界遺産の登録へ向けての大きな一歩を踏み出しました。 散歩コース スタート地点までのアクセス ◎所要時間のめやす:1泊2日 img/sub/map_point2.gif' alt='2' />2旧五輪教会堂 ↓福江島の福江港に戻り、奈留島の奈留港へフェリーで約40分+車で約15分
  • 第4回 世界遺産候補を巡る旅 長崎市街&島原編 2007年05月16日
    第4回 世界遺産候補を巡る旅 長崎市街&島原編
    殉教、そしてキリスト教信仰の復活した時代を読み解く  「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が世界遺産の候補となりました。長崎におけるキリスト教の歴史は、伝来、繁栄、禁教、弾圧のあと、長い潜伏を経て奇跡の復活を遂げ、その後各地に教会が建てられ、いまに続いています。この世界宗教史上まれにみる激動の歴史と、厳しい迫害の中で何代にもわたって受け継がれてきた篤い信仰の姿を、いまもなお現存する教会や史跡の数々が物語っています。現在、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」には、県内各地に残るキリシタンの歴史を物語る文化遺産のなかでも、代表的な史跡や教会が構成資産として、県内20箇所がピックアップされています。  このウェブサイト「旅する長崎学<<たびなが>>」では、この20箇所を「平戸&外海編」「長崎市街&島原編」「五島編」と、3編に分けてご紹介します。長崎のキリシタンの歴史を旅してそのすばらしさと価値を体感すると、これらの“長崎のたからもの”をずっと大切にして、世界中の人にも知ってほしいと思わずにはいられません。今回は、「長崎市街&島原編」です。このエリアに点在する貴重な教会と遺産を旅してきました。教会は祈りの場所ですから、マナーを守って見学させていただきましょう。 歴史のとびら  長崎におけるキリスト教の歴史は、1550年、平戸に来航したフランシスコ・ザビエルの布教にはじまります。海外からやってきた宣教師たちの熱心な宣教活動と、南蛮貿易の利を得たい領主たちの思惑もはたらいて、キリシタンの数は増え続けますが、一転して受難の時代を迎えることになります。禁教下での弾圧による迫害、そして殉教・・・。1644年には日本国内にはひとりの神父もいなくなってしまいますが、キリシタンたちは先祖から伝えられた伝承やマリア信仰を心のよりどころに、潜伏しながらその教えを守り続けるのです。こうして受け継がれた篤い信仰は、約250年もの長い潜伏の時を経て、1865年、大浦天主堂を舞台に起こった「信徒発見」とよばれる信仰表明の感動的な瞬間へとつながり、日本キリシタンの復活は世界中に感動と衝撃を与えました。こののち、信仰の証として信徒たちの手によって建てられた教会は、まさに復活のシンボル的な存在となったことでしょう。長崎の自然環境とみごとに調和した幻想的で厳かな空間はもちろん、西洋と日本の技術が折り込まれた美しく独創的な意匠は、訪れる人々を魅了します。これらの遺産は450年以上もの歴史が育んだ結晶なのです。  現在、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産としてピックアップされているのは20資産。そのうち教会が12件、キリスト教関連遺産は史跡など8件となっています。この長崎の“たから”を、次の世代へと大切に受け継ぎたい。2007年、長崎県は世界遺産の登録へ向けての大きな一歩を踏み出しました。 散歩コース スタート地点までのアクセス ◎所要時間のめやす:1泊2日 img/sub/map_point2.gif' alt='2' />2サント・ドミンゴ教会跡 ↓車で約15分or 徒歩で約40分 img/sub/map_point4.gif' alt='4' />4旧羅典神学校 ↓車で約2時間 (長崎で宿泊。朝、車で出発!) img/sub/map_point6.gif' alt='6' />6日野江城跡 ↓車で約7分
  • 第3回 世界遺産候補を巡る旅 平戸&外海編 2007年05月02日
    第3回 世界遺産候補を巡る旅 平戸&外海編
    キリシタンゆかりの里を訪ねて  「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が世界遺産の候補となりました。長崎におけるキリスト教の歴史は、伝来、繁栄、禁教、弾圧のあと、長い潜伏を経て奇跡の復活を遂げ、その後各地に教会が建てられ、いまに続いています。この世界宗教史上まれにみる激動の歴史と、厳しい迫害の中で何代にもわたって受け継がれてきた篤い信仰の姿を、いまもなお現存する教会や史跡の数々が物語っています。現在、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」には、県内各地に残るキリシタンの歴史を物語る文化遺産のなかでも、代表的な史跡や教会が構成資産として、県内20箇所がピックアップされています。  このウェブサイト「旅する長崎学<<たびなが>>」では、この20箇所を「平戸&外海編」「長崎市街&島原編」「五島編」と、3編に分けてご紹介します。長崎のキリシタンの歴史を旅してそのすばらしさと価値を体感すると、これらの“長崎のたからもの”をずっと大切にして、世界中の人にも知ってほしいと思わずにはいられません。今回は、「平戸&外海編」です。このエリアに点在する貴重な教会と遺産を旅してきました。教会は祈りの場所ですから、マナーを守って見学させていただきましょう。 歴史のとびら  長崎におけるキリスト教の歴史は、1550年、平戸に来航したフランシスコ・ザビエルの布教にはじまります。海外からやってきた宣教師たちの熱心な宣教活動と、南蛮貿易の利を得たい領主たちの思惑もはたらいて、キリシタンの数は増え続けますが、一転して受難の時代を迎えることになります。禁教下での弾圧による迫害、そして殉教・・・。1644年には日本国内にはひとりの神父もいなくなってしまいますが、キリシタンたちは先祖から伝えられた伝承やマリア信仰を心のよりどころに、潜伏しながらその教えを守り続けるのです。こうして受け継がれた篤い信仰は、約250年もの長い潜伏の時を経て、1865年、大浦天主堂を舞台に起こった「信徒発見」とよばれる信仰表明の感動的な瞬間へとつながり、日本キリシタンの復活は世界中に感動と衝撃を与えました。こののち、信仰の証として信徒たちの手によって建てられた教会は、まさに復活のシンボル的な存在となったことでしょう。長崎の自然環境とみごとに調和した幻想的で厳かな空間はもちろん、西洋と日本の技術が折り込まれた美しく独創的な意匠は、訪れる人々を魅了します。これらの遺産は450年以上もの歴史が育んだ結晶なのです。 現在、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産としてピックアップされているのは20資産。そのうち教会が12件、キリスト教関連遺産は史跡など8件となっています。この長崎の“たから”を、次の世代へと大切に受け継ぎたい。2007年、長崎県は世界遺産の登録へ向けての大きな一歩を踏み出しました。 散歩コース スタート地点までのアクセス ◎所要時間のめやす:1泊2日 img/sub/map_point2.gif' alt='2' />2田平天主堂 ↓車で相浦港まで約30分+フェリーで約50分+徒歩約20分(佐世保で1泊、相浦10:00発に乗船) img/sub/map_point4.gif' alt='4' />4大野教会 ↓車で約10分 or 徒歩約1時間 img/sub/map_point6.gif' alt='6' />6旧出津救助院 ↓徒歩約5分
  • 第2回 ザビエルも訪れた国際貿易港(長崎県平戸市) 2007年04月18日
    第2回 ザビエルも訪れた国際貿易港(長崎県平戸市)
    歴史の中の“Firand”(フィランド)へ 平戸大橋を渡って、歴史の浪漫があふれる城下町「平戸」へと向かいました。その昔、貿易を通じて、中国・ポルトガル・オランダ・イギリスといった異国の文化を吸収した海外交流の玄関口。西洋の佇まいと美しい城下町のまち並みは、平戸ならでは。ここは訪れるたびに新しい発見に出会えるまちです。16世紀の国際貿易港・祈りの島“Firand”(フィランド)を巡る心弾む楽しい旅に出かけましょう。 歴史のとびら  平戸は、遣唐使船の寄港地となるなど、古くからアジアとの海上交通ルートにおいて重要な港でした。16世紀、この港町は世界を結ぶ海外交易の要所としてさらに栄えることとなります。  長崎県と西洋の最初の出会いは、1550年、ポルトガル船の平戸入港に始まります。東洋でのキリスト教布教に生涯を捧げたフランシスコ・ザビエルも平戸にやってきました。貿易に熱心だった当時の領主・松浦隆信のもと、南蛮貿易とキリスト教布教の出発の地となった平戸は、世界地図にFirando(フィランド)と記され、その名を世界に知られます。  17世紀になると、新教国のオランダやイギリスがアジアに進出。ポルトガル船が去った平戸にも入港し、1609年にオランダ商館が、1613年にはイギリス商館が開設され、瞬く間に国際貿易港としての脚光を再び浴びることになります。  1550年(ポルトガル船来航)から1641年(オランダ商館が長崎・出島に移転)までのおよそ90年間、ポルトガル、イギリス、オランダなどヨーロッパの国々と親密な交わりをもち、海外文化の交差点となった「平戸」。いまから約450年前、世界への扉が大きく開け放たれたこのまちに残る異国の香りを訪ねました。 散歩コース スタート地点までのアクセス ◎所要時間のめやす:約6時間30分 img/sub/map_point2.gif' alt='2' />2平戸和蘭商館跡 ↓徒歩5分 img/sub/map_point4.gif' alt='4' />4聖フランシスコ・ザビエル記念碑 ↓徒歩10分 img/sub/map_point6.gif' alt='6' />6六角井戸 ↓徒歩15分 img/sub/map_point8.gif' alt='8' />8寺院と教会が混在する風景 ↓徒歩10分 img/sub/map_point10.gif' alt='10' />10冨春園・冨春庵跡 ↓車で30分 img/sub/map_point12.gif' alt='12' />12平戸市切支丹資料館 ↓徒歩12分
  • 第1回 白い十字架が目印の港町「横瀬浦」の旅 2007年04月01日
    第1回 白い十字架が目印の港町「横瀬浦」の旅
    小さな漁港が長崎のルーツ!?  太陽の恵みをいっぱいに受けて実ったミカン畑の間を車で走りながら横瀬浦の港へ到着。 ブルーの水面が眩しく波穏やかな港町は、その昔、平戸の次に南蛮貿易港として賑わった歴史のある場所。もし、焼き討ちにあわなければ、 ここ横瀬浦が“長崎”だったかもしれない港町。長崎の元祖・横瀬浦へと出発!地名にご注目。 歴史のとびら  今から約420年前、平戸の次に南蛮貿易港となった横瀬浦。ここは、日本の歴史のなかで”はじめて”の出来事が起こった重要な場所だったのだ。日本初のキリシタン大名として有名な大村純忠がキリスト教の洗礼を受け、宣教師ルイス・フロイスが日本に降り立った最初の地。瞬く間にキリシタンの町となり、港は南蛮船や商人たちの船が往来し活気に沸いた。しかし、焼き討ちにあい、わずか1年で消滅した横瀬浦。いま、この町にキリシタンは1人もいないそうです。 当時の繁栄の面影をたどりながら、散策してみよう! すがすがしい青空に波穏やかな横瀬浦の港に到着。目の前に見えてきたのは、時間を越えて、静かな港にポッカリと浮かぶ八ノ子島。その頂にある白い十字架は、太陽に直射され島の縁と一体となって、陰影のコントラストをつくりあげていた。 散歩コース スタート地点までのアクセス ◎所要時間のめやす:約3時間 img/sub/map_point2.gif' alt='2' />2八ノ子島を観る(海の駅 船番所) ↓徒歩10分 img/sub/map_point4.gif' alt='4' />4フロイス像(横瀬浦公園) ↓徒歩2分 img/sub/map_point6.gif' alt='6' />6大村純忠の館跡 ↓徒歩7分 img/sub/map_point8.gif' alt='8' />8長崎甚左衛門純景の居宅跡 ↓徒歩20秒 img/sub/map_point10.gif' alt='10' />10丸山長袖さまの墓 ↓車で7分 img/sub/map_point12.gif' alt='12' />12中浦ジュリアン顕彰の碑 ↓徒歩1分