Christian Culture Ⅲ: 確認中


The countermeasures that Toyotomi Hideyoshi adopted against Christianity led 26 Christians to be executed in Nishizaka, making them martyrs. A revolt organized by Christians united with each other through their shared faith escalated into a fierce battle with the Tokugawa shogunate called the “Shimabara Rebellion.” A ban on Christianity, deportation, martyrdom, and torture dramatically changed the history of Christians in Japan, causing them much suffering. In the process of establishing a system for national isolation, missionary work was separated from trade. Nagasaki became a city administered by an autonomous organization of merchants based on a unique system they built.

 

旅する長崎学3 キリシタン文化III 26聖人殉教、島原の乱から鎖国へ 目次

[巻頭特集]秀吉はなぜ26人のキリシタンを処刑したのか
第1章 殉教事件の引き金となった運命の船サン・フェリペ号
第2章 処刑地「長崎」へとむかうキリシタンたち
第3章 26人はどんな人物だったのか
第4章 1597年2月5日正午、長崎で殉教
第5章 聖人に列せられた26人の殉教者
●寄稿 結城了悟「夢は現実となった – ブロンズ像制作と記念館計画」
第6章 二十六聖人の記念碑と記念館
●浦上街道を歩く
●寄稿 渡辺千尋「二十六聖人が歩いた道をたどって」
[特集II]徳川幕府と天領長崎の貿易と宗教
第1章 徳川幕府の貿易政策がもたらした長崎の繁栄
第2章 禁教に拍車をかけた2つの事件
第3章 元和の大殉教 再び血に染まった祈りの丘
第4章 受難の時代を生きたキリシタン 長崎十六聖人と金鍔次兵衛
第5章 雲仙地獄の拷問 そして絵踏みは始まった
第6章 命がけの布教活動 弾圧される各地のキリシタン
[特集III]幕府をゆるがせた123日 – 島原の乱
第1章 島原の乱はなぜ起こったのか
第2章 幕府軍vs一揆軍 決戦までの88日間の攻防
第3章 一揆軍の総大将 天草四郎 生まれは長崎!?
第4章 全滅した村の再興 幕藩体制は不動のものに
第5章 本丸跡の発掘調査が語る 天草四郎最期の家はここだ!
第6章 島原の乱とキリシタン遺物 十字架に結束誓った一揆軍
●原城とその周辺を歩こう!!
●寄稿 松本慎二「原城発掘から島原の乱を再考する」
[特集IV]外交都市長崎 – 「キリシタンの町」から「町人主役の町」へ
第1章 悲運の長崎代官 村山等安と末次平蔵
●寄稿 原田博二「鎖国以前の長崎の支配体制」
第2章 長崎の統治と町人による自治
第3章 出島の築造 鎖国体制の完成へ

 


[巻頭特集]秀吉はなぜ26人のキリシタンを処刑したのか
1597年2月5日、長崎西坂の丘で日本人20人、外国人6人のキリシタンが十字架にかけられ処刑された。日本で最初の大殉教はなぜおきたのか

[特集II]徳川幕府と天領長崎の貿易と宗教
1600年代初期、徳川幕府は貿易で莫大な富を得るため、キリスト教布教に寛大だった。しかし、布教を貿易の条件とするポルトガルとの間に軋轢が生じ始め、幕府は増え続けるキリシタンに脅威さえ抱くようになった。禁教、国外追放、殉教、拷問 – 。華やかなキリシタンの歴史は一変、受難の時代を迎えた。

[特集III]幕府をゆるがせた123日 – 島原の乱
島原・天草の領民約3万7000人(約2万7000人ともいわれる)が、島原半島の原城に立てこもった「島原の乱」。幕府軍の総攻撃により、老若男女の別なく皆殺しという凄惨な結末を迎えた。
乱の最後の舞台となった原城は徹底的に破壊された。

[特集IV]外交都市長崎 – 「キリシタンの町」から「町人主役の町」へ
長崎港の開港とともに、キリシタンのまちづくりが始まり、南蛮貿易で栄えてきた長崎。しかし、時は流れ、日本が鎖国に至る過程には、キリシタンに対する幕府の警戒感がベースにあった。
鎖国体制が形成されるなかで、キリスト教布教と貿易は切りはなされた。
長崎の町人たちは、独自のシステムをつくりあげ、より長崎らしさを際立たせていく。