歴史の道編IV 「長崎街道・脇往還ウォーキング」

 


長崎街道は、長崎と江戸を結ぶ重要な道。海外との交流の窓口として栄えた長崎には、さまざまな人々が往来し、異国からのモノや情報など、異文化を長崎から全国へ運んでいきました。
21号では、前号で紹介した長崎本街道以外の長崎街道と長崎からの脇往還で知られる茂木街道とみさき道の古道を歩きます。

 

旅する長崎学21 歴史の道IV<長崎街道・脇往還ウォーキング>目次

[時津街道]二十六聖人も歩いた道
■殉教の道コース(日本二十六聖人上陸の地記念碑~岩屋神社~西坂公園)MAP
[道案内]殉教者の足跡と近世街道の面影を求めて
[歴史のとびら]愛と献身の生涯 岩永マキ
[祭カレンダー・花ごよみ・よかもん・キバル21世紀人]
◇寄稿:古巣 馨(長崎大司教区司祭)日本二十六聖人殉教地はこうして西坂に確定した
[諫早街道(多良街道・竹崎街道)]多良岳のすそ野を佐賀にむかう
■諫早湯江コース(本明川飛び石~天初院~和銅寺)MAP
■多良越え・竹崎コース(湯江宿~追分~猪の塔~県境石碑(多良越え))MAP
           (追分~実盛神社~竹崎港(竹崎街道))MAP
[道案内]諫早市中を通って、多良越え・竹崎経由で佐賀へ向かう
[歴史のとびら]諫早家ゆかりの名所を訪ねて
[祭カレンダー・花ごよみ・よかもん・郷土の有名人]
◇寄稿:本馬貞夫(長崎県長崎学アドバイザー)長崎街道と渡海船ルート
[茂木街道]長崎から田上峠を越えて茂木へ
■「日野(鈴田)峠歴史の道」コース(永昌~日野(鈴田)峠~鈴田~大村本町)MAP
[道案内]江戸時代へタイム・スリップ?!
[歴史のとびら]多くの偉人を輩出した藩校・五教館
[祭カレンダー、花ごよみ、よかもん、キバル21世紀人]
◇寄稿:大島大輔(諫早市郷土館)平家落人伝承の里 破籠井
[みさき道]観音信仰の道
■観音信仰の道コース(十人町の道標~深堀陣屋跡~観音寺)MAP
[道案内]みさきの観音を参詣 関寛斎が歩いた道
[歴史のとびら]古刹観音寺の魅力
[祭カレンダー・花ごよみ・よかもん・キバル21世紀人]
◇寄稿:橋本幸雄(みさき道歩会)江戸期の「みさき道」ウォーキングのすすめ
■深堀小城下散策
■街道を彩る恵比須さまとお地蔵さま
■旅する長崎学(歴史の道)のご紹介
■長崎三街道とその脇往還MAP

 



[時津街道]二十六聖人も歩いた道
  時津街道は、長崎街道よりも古くから利用され、行程を短縮できるルートとして盛んに利用されていた。
二十六聖人の旅は、京都・大阪から堺を経て、彼杵に至り、この街道を通って長崎を目指し西坂で十字架にかかった。
二十六聖人はこの街道をどんな想いで歩いていったのだろう。

[諫早街道]多良岳のすそ野を佐賀にむかう
  諫早は佐賀藩鍋島家の重臣諫早氏の私領であった。
幕末まで長崎警備を担当した佐賀藩は、大村領を通らず、自領を通るこの街道を利用し続けたのであった。
いまこの街道をたどると、山や川、そして野原の景色が静かに人の往来を見守っていて、当時の人々の息吹を感じられる。

[茂木街道]長崎から田上峠を越えて茂木へ
茂木は、島原や天草、薩摩などへの渡航地として栄え、長崎と茂木を結ぶこの街道を多くの人々が往来した。明治時代には、長崎の居留地に住む多くの外国人も通り、蒸気船で小浜、雲仙へと向かった。
海と山に囲まれた港町・茂木には、どこか懐かしい雰囲気が漂っている。

[みさき道]観音信仰の道
  長崎半島の先端脇岬には古刹として名高い観音寺がある。
江戸時代、観音信仰の高まりとともに、長崎からの参詣者も多く、参詣路としてみさき道が発展した。
今では江戸時代に使われていたみさき道を正確にたどるのは難しい。
現在の国道や県道を行っても、海に浮かぶ島々や水平線に沈む夕日に出会う。
かつて参詣する人たちが出会った景色を訪ねてみる。