海の道編VI 中国交流編「唐船来航の道」

 


近世鎖国時代、長崎港には多くの唐船が入り、多くの唐人たちがやってきました。
長崎の人々は、唐人の思想や知識、芸術や建築技術などを積極的に受け入れ、生活や風習にも影響を受けました。
現在でも長崎では中国色あふれる多彩な文化が、街や暮らしのなかに根づいております。
長崎県と中国の交流の歴史と、そこに育まれた長崎文化をぜひ体感してください。

 

旅する長崎学16 海の道VI<中国交流編>唐船来航の道 目次

ようこそ、長崎の中国ワールドへ 唐貿易の歴史としくみ
朱印船貿易の時代 長崎を舞台に活躍した豪商たち
清朝の「展海令」で激増した唐船の長崎入港
◆寄稿 本馬貞夫(長崎県参与)「唐貿易と長崎」
絵図に描かれた唐貿易のしくみ
「唐通事」は通訳、貿易商務官、そして文化人
[唐人屋敷はもうひとつの「鎖国の窓」
囲いの中の唐人さん その暮らしぶりをのぞいてみる
唐人さんと長崎人の交流
今に残る唐人屋敷内のお堂を巡る
長崎の年中行事に残る唐人屋敷での生活風習
◆寄稿 伊藤晴子(長崎県主任学芸員)「長崎における中国絵画の受容」
唐人の信仰で繁栄した唐寺をめぐる
黄檗寺院となった唐寺、だがそれだけじゃない!
◆Q&A 唐寺のふ・し・ぎ 10問10答
興福寺■日本最古の黄檗寺院は寺域が別世界
福済寺■原爆で焼失した唐寺の代表的国宝建造物
崇福寺■西日本有数の文化財の宝庫
聖福寺■創建は本山萬福寺で修行した僧
◆インタビュー 興福寺松尾法道住職に聞く「隠元さんと黄檗文化」
●ガイドマップ 江戸時代の地図で「中国ワールド」を歩く
食文化に根づく中国色
唐風の精進料理「普茶料理」
中国、西洋もまじった和華蘭料理は卓袱料理
長崎名物お菓子も中国カラー
伝統野菜の祖国は、遠く海を渡った異国にあり
◆インタビュー 聖福寺田谷昌弘住職に聞く「普茶料理とはなにか」
●長崎と絆を結んだ唐人名鑑
●長崎に眠る唐人ゆかりの墓を歩く

 


長崎開港以降、貿易都市長崎には唐船も多く入港するようになり、ポルトガル貿易とならんで、唐貿易もしだいに盛んになった。唐船が長崎に入港すると、船主・船頭ら唐商は市中馴染みの家に宿をとり、積荷の販売や、出港時に積む品物の集荷を、宿の主人らに委託した。宿主には口銭が支払われ、莫大な利益が入ることになった。こうして多くの唐人たちが長崎市中に散宿したことから、中国の風俗、生活文化の影響を受けた独自の長崎文化が形成されていく。

唐船が年々増えてくると、治安の問題、密貿易やキリスト教禁令違反への対応など問題が続出した。そこで、唐人だけを管理する屋敷が必要となり、唐人屋敷が出島築造から遅れること50年にして造成されたのである。唐人屋敷は「出島」と同様の歴史的価値を有しており、世界史の中の長崎を物語る貴重な遺産として、その魅力に迫りたい。

風頭山麓に営まれた小庵から唐寺の歴史がはじまる。この小庵は南京地方出身の唐商たちによって諸堂が建て増され、興福寺に発展した。長崎在留の唐人たちは、キリスト教禁教下において仏教徒であることを証明する必要があり、その後にもそれぞれの出身地ごとに福済寺、崇福寺を建立し、後に建てられた聖福寺を加えて「四福寺」と称される。どの寺にも中国寺院様式が多分に用いられ、随所に吉祥・福寿を意味する意匠が数多く見られる。そんな歴史をひも解きながら長崎四福寺をめぐる。

長崎の「うまかもん」には、中国がそのまま長崎に根づいたものや長崎で独自のアレンジが加えられたものが多い。開国後に唐人屋敷から移り住んだ人々が作った街・新地中華街は、今も中華料理店や中国雑貨を扱う店で賑わい、観光スポットになっている。特に、中秋節や冬のランタン・フェスティバルでは、幻想的に灯るランタンの下、あれこれ食べ歩くのも楽しい。